サクラメント滞在写真集

Photographed by Matsutora in Sacramento
on 3rd March 2012


椿の都
 


サクラメント市は椿の都として知られています。 
公的な機関だけでなく民家の庭にもたくさんの椿が植えられています。 
もちろん市花になっています。 

AEモリソン・サクラメント郡の農業委員会によると
最初の椿がサクラメントに到着したのは1852年2月7日だったそうです。
それらはジェームスL.L.F.ウォーレン氏(カルフォルニア州の農業の父)が日本から輸入したのです。
それらの日本の椿は、まずニューヨークに到着し、パナマ運河を越えて、
サンフランシスコに到着し、さらにサンフランシスコから川船でサクラメントに到着しました。
その後、日本の椿は160年間もサクラメントの市民に愛されて
サクラメントのシンボルまでになりました。
サクラメント椿協会も約100年前に結成されて、
この協会が主催するカメリアショー(椿展)は今年で88年目を迎えました。

ところで、1852年といえば日本では幕末です。
1853年にペリーの黒船が浦賀に寄航していますが、
日本の椿は、黒船よりも1年も早くサクラメントに到着したことになっています。
はたしてジェームスL.L.F.ウォーレン氏は本当に日本から椿を輸入したのでしょうか。
さらに、もし日本から輸入したとして、その椿がなぜニューヨークに到着するのでしょうか?
日本人なら誰しも不思議に思うでしょうが、
これを解き明かす資料を探し当てることは出来ませんでした。

では、ここからが松虎の仮説になりますが、
ジェームスL.L.F.ウォーレン氏は「日本から輸入した」のではなくて、
「日本の椿を輸入した」のではなかったのでしょうか。
当時ヨーロッパで持てはやされていた日本の椿(種)を
ヨーロッパから輸入したのではなかったのでしょうか。
そのように考えると全ての辻褄が合います。
そして日本の椿の壮大な大航海も見えてきます。

椿の学名はCamellia japonicaで日本原産の常緑樹です。
日本では733年「出雲風土記」にすでに椿が用いられています。
その他にも同時期の「伊予国風土記」など多くの古文献に出てきます。
中国では隋の王朝の第2代皇帝煬帝の詩の中で椿が「海榴」もしくは「海石榴」として出てきます。
海という言葉からもわかるように海を越えてきたもの、
日本からきたものを意味していると考えられます。

18世紀になってイエズス会の助修士で植物学に造詣の深かったゲオルク・ジョセフ・カメルは
フィリピンでこの花の種を入手してヨーロッパに紹介しました。
その後有名なカール・フォン・リンネ(スウェーデンの動植物学者)が
このカメルにちなんで、椿にカメルという名前をつけました。
19世紀には園芸植物として大流行し、宮殿では椿園が作られたり、
アレクサンドル・デュマ・フィスが『椿姫』を発表し、
ジュゼッペ・ヴェルディがそれをオペラにすると椿の人気は更に上昇し、
花言葉まで与えられました。
「わが運命は君の手にあり」、さらに紅椿には「謙遜の美徳」を、
また白椿には「完成した愛らしさ」が与えています。

ジェームスL.L.F.ウォーレン氏が椿を輸入したのは正にこのような時期でした。
日本の椿は、中国には隋の時代に、
フィリピンでは18世紀にはすでにあったことが裏付けされていますが、
いつフィリピンに渡ったかは不明です。
しかしながら、日本の椿はフィリピンを出発してからでも
約100年かかってサクラメントに到着したことになります。
まさに椿の大航海でした。

現在のサクラメントの多くの椿は西洋椿です。
西洋椿というのは、日本の椿を品種改良したものです。
西洋アジサイやオリエンタル・ハイ・ブリット系のユリ(カサブランカなど)が
日本のDNAを持っているのと同じことです。

最後に、愛媛県松山市は古来より椿の自生地として古文書にも記載されおり
松山市の市花も椿になっています。
これらの椿の縁でサクラメント市は松山市と姉妹都市になっています。
今年のカメリアショー(第88回椿展)でも松山市の展示コーナーがありました。

「参考」

サクラメント椿協会(Camellia Society of Sacramento)
http://www.camelliasocietyofsacramento.org/History___Membership.html

ジェームスL.L.F.ウォーレン(Brighton Allston Historical Society)
http://www.bahistory.org/HistoryJamesWarren.html

ツバキ(wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD


ジェームスL.L.F.ウォーレン氏は
サクラメントのJ通りとフォロンテイア通りが交差した場所に
植物収集の事務所を構えていました。
そして、正にこの場所に日本の最初の椿が到着しました。


現在のJ通りとフロント通りの交差点。


第88回椿展


































































































サクラメント椿協会。
サクラメントの椿の歴史はこの協会で教えていただきました。






サクラメント松山姉妹都市協会。
スタッフの方々はボランテイアで
サクラメント松山姉妹都市をサポートするサクラメントの方々です。














キャピトル公園。
サクラメントの中心にありカルフォルニア州議事堂もこの公園の中にあります。
まさにサクラメントの中心ですが、カルフォルニアの政治の中心地でもあります。
























クロッカー美術館
全米でも最古参の美術館の一つ






サクラメントシテイー大学
 

カメリア通り
日本語の「〜通り」というのは、
英語ではstreet,avenue,road,boulevard,drive...といろいろあります。
サクラメントの「椿通り」もこれらの言葉を置き換えていろいろな「椿通り」があります。




































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