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ウォンウェインヤイ、パーククーロン市場、ワットラ−チャブーラナ寺院
平成25年9月1日


バンコクの顔ともいえるチャオプラヤー川。
その川の東部は観光名所や繁華街が続く中心街になっているが、
西部はローカル色100%の地帯だ。
日本人観光客にお目にかかることはまずないが、
かつてはトンブリ王朝の王宮があったところである。
トンブリ王朝は現王朝の前身ともいえる。
現王朝の初代ラーマ1世王はトンブリ王朝の有能な将軍だった。
今日は西部から、
川を渡ったところにある東部のパーククーロン市場と
ワットラ−チャブーラナ寺院を訪ねた。
ワットラ−チャブーラナ寺院には金閣寺を模した建物もある。
バンコクで亡くなった日本人の遺骨を100年以上も保管供養している。


ウォンウェインヤイ(Wong Wian Yai)。ローカル色100パーセントの街
 

バンコク市には3駅しかない始発の駅もある。
 

 

線路は1本あるのみ。
 

 

切符発売窓口も一つだけ。
 

始発駅ということがよくわかる。
 

プラットフォームに沿って小売店がならぶ。
メークロン(線路上市場)にはこの駅からいく。
 

ウォンウェインヤイは現王朝の流れを汲むトンブリー王朝があった所として知られている。
 

 

トンブリー王朝を打ち立てたタークシン将軍 
 

タークシンはアユタヤ王国の将軍であったが、王と反目し出奔し、
後に兵を挙げてアユタヤに帰還するもすでにアユタヤ王国は滅んでいた。
彼はバンコクへ向かいウォンウェインヤイにトンブリー王朝を 建てた。 
その後は、
有能な将軍(後のラーマ1世)もいて全戦全勝の破竹の進撃でアユタヤ朝時代の領土や
属国であったカンボジア、ラオスまで次々に回復した。
さらに北部ランナー国を属国とした。
しかし、晩年は乱心し世情は乱れた。
民衆はあの有能な将軍(後のラーマ1世)にタークシンの処刑を求めた。
将軍は王を幽閉し処刑した。トンブリー王朝は1代で滅んだ。
1782年、将軍は王位(ラーマ1世)に就きチャックリー王朝(現王朝)を創設した。
(写真はトンブリー王朝のタークシン王)
 

 

 

 

 

パーククーロン市場(Pak Khlong Flower Market)
チャオプラヤー川を渡って東部に出ると、花屋ばかりの市場が続く。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

周辺の花びらは織り込んである。折り紙ならぬ折り花弁である。
 

白い花はジャスミンの花。白い部分はプラスチックの玉を使っている
 

 

 

 

 

 

 

 

葉だけでも、こんなにきれいに加工する。
 

 

 

花屋ばかり続く市場は外国人観光客のツアーにも入っているようだ。
これらの花はすべて寺院に献花するためのものである。
 

隣には、野菜ばかりの市場が広がっていた。
 

 

 

 

 

 

 

 

ワットラ−チャブーラナ寺院(Wat Rachaburana)
 

 

 

 

 

金閣寺を模した建物があった。
 

日本人納骨堂だ。
 

この建物は1933年(昭和8年)、
当時の日本人会が日本人の物故者の霊を祀るために建立した。
仏堂の御本尊は、名古屋の日泰寺から招来された釈迦如来である。
ここには、1895年以降の
日本人物故者(440名以上)の名前が記載された過去帳も保存されており、
現在も高野山真言宗から派遣された日本人僧侶が御勤めをされている。
 

 

 

 

僧侶たちの寄宿舎。
 






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