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山田長政のアユタヤ
平成25年12月30日
アユタヤは1351年にウートン王によってアユタヤ王朝が建都されてから、
1767年にビルマ軍の攻撃で破壊されるまでの417年間、
アユタヤ王朝の都としてタイの中心であり続けた。
山田長政もこのアユタヤで活躍した。
チャオプラヤー川とその支流に囲まれた地形は水運に恵まれ、
17世紀はじめにはヨーロッパと東アジアを結ぶ国際貿易都市として繁栄した。
その都市計画や中央集権制度、国際貿易振興といった近代国家の基盤は、
その後のバンコク王朝にも受け継がれている。
苔むした仏塔のチェディ、大草原に悠然と横たわる涅槃像、
素晴らしい建築美を誇る歴代王の離宮、
かつて栄華を極めた古都の壮大な歴史が眠る遺跡の街・アユタヤ。
現代にその当時の姿をつたえる荘厳な遺跡群は広大な歴史公園として整備され、
1991年にユネスコ世界遺産にも登録された。
アユタヤ王朝王宮古跡
樹は実が実り、
その実は地面に落ちて、甘酸っぱい香りを漂わせていた。
ワット・プラ・シー・サンペット
バンコクのワットプラケーオに相当するアユタヤ王朝の王室守護寺院。
セイロン様式のチェーディー(仏塔)3基は。
ビルマ軍の破壊から免れて今に残っている。。
ウィハーン・プラ・モンコン・ボピット
この寺院(写真奥)はビルマ軍に破壊されたが、その後ラーマ五世が再建した。
このプラ・モンコン・ボピット仏がご本尊。
クンペーン・レジデンス。アユタヤ時代の邸宅を再建したもの。
ワット・プラ・マハータート
ワット・プラ・シー・サンペットと並び重要とされた寺院。
ワット・プラ・ラーム。
初代アユタヤ王の火葬跡に建てられた。
ワット・ノッ
ワット・ラングーン・カダム
広大な歴史公園はあちこちに古跡が残っている。
ワット・プラ・ラーム
エレファントキャンプで象に乗ればこの古跡が良く見える。
歴史公園を出たところにある街の柱
アユタヤ観光センター
更に郊外にあるワット・パナン・チューン
ワット・パナン・チューンの近くにある日本人村。
アユタヤ日本人町は、14世紀中ごろから18世紀頃までアユタヤにあった。
日本人は15世紀後半から16世紀初頭までアユタヤ王朝下で
軍事力と貿易による利潤を背景に政治的に力を持つようになった。
南北約570メートル、230メートルの敷地に最盛期で
1000〜1500人の日本人が住んでいたと思われている。
山田長政もここに住んでいたが、
その後日本人町は焼き討ちにあい完全に消滅した。
現在、日本人が作った建造物などは全く残ってはいないが、
記念公園として整備し、日本人町の跡碑などを建てている。
日本の旅行会社が、この公園をパッケージツアーのコースに
採用しているために日本人の訪問者は多い。
日本人村は今も昔もチャオプライヤー川(メナム川のこと)に面してある。
バンコクからも日本からも船で来ることが出来る。
チャオプライヤー川
アユタヤ古跡群の夜景
琥珀ブログ 平成23年3月20日 初製作

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