Produced & Photographed by Matsutora

 
ワットシン学校
平成26年3月16日


先日ご紹介した近所の学校の65周年祭。 
その学校は自宅アパートから7軒ほど離れた隣にある。
その学校も仏教系の学校だとういことを知ったので、
その学校の母体である寺院を見に行った。
自宅から歩いて6分ほどであるが、
大通りの裏側にあるので今まで行ったことがなかったが、
その寺院は地元に密着したごく普通の寺院だけに取材価値があった。




大通りに面した学校。写真の中の芝生で65周年祭が開催された。
 

学校横の脇道。このような門があるときは、その道の奥に寺院がある。
 

小さな商店街を横目に脇道を進む。
 

あった!ワットシン寺院。建物に入っていくと礼拝所だった。
 

 

こちらの建物が本堂のようだ。
 

 

 

 

 

こちらはまた別の建物。
 

入ってみると僧侶が読経していた。
 

鐘楼
 

僧の起居する僧坊。
 

火葬場。すべての寺院に火葬場がるわけではない。
私の学校の母体となる寺院は火葬場も墓もない。
また、観光客でいっぱいのエメラルド寺院も火葬場も墓もないが、僧もいない。
 

火葬場の右のかまぼこ型の屋根で葬儀が行われる。
 

葬儀がなければ駐車場などになる。
 

寺院を取り囲む塀。
 

塀の裏側(内側)はこのようになっている。実はお墓になっている。
 

インドは墓が全くない。
火葬すれば、お骨は聖なる川に流している。
タイも同じだった。
聖なる大木の周りに散骨していたようだ。
ただし華僑は昔からタイでも墓を作っていた。
タイで見かける古い墓は中国人のものでタイ人のものはない。
ところが、
近年納骨するタイ人も現れ写真のような納骨場所が作られるようになった。
あの「千の風になって」では、
お墓のなかに私はいません。眠ってなんかいません。
千の風になってあの大きな空を吹きわたっています
と歌っているが、
それと同じで、インドでもタイでも輪廻転生が信じられているので、
遺骨は蝉の抜けがらのようなもので、
「私」はそれらのお骨の中にはなく、
すでに別の世界で別の物になって存在しているのである。
そういうわけでお墓がなくともいいのです。
葬式が終われば散骨してお終いというのが普通だ。
もし写真のように納骨しても
墓参りとか墓掃除もあまりしていないようだ。
写真は子供のいたずらか好奇心か分からないが、
暴かれたままになっているのもちょくちょくある。
 

 

 

 

 

 

 

 

墓の前の屋台。
 

この寺院もご多分に漏れずすぐ横に駅がある。
手前の紫色の建物が駅舎、奥がワットシン寺院。
 

駅構内のベンチの後ろの塀も、
 

裏側から見ると墓になっている。
 

 

そして、運河にも面している。昔はこの運河が交通の手段だった。
 

運河にはごちゃごちゃしたところもあれば、
 

花で飾った家もある。
 

 

そして、境内ではゴールデンシャワー(タイの国花)が咲き始めていた。
 






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