Produced & Photographed by Matsutora
カジミエシュ・ドルヌイ
平成27年7月4日
KAZIMIERZ DOLNY
July.3.2015
ワルシャワから南にバスで2時間半、ヴィスワ川沿いにある美しい村。
800年以上の歴史があり建物のほとんどが
16世紀から17世紀にかけて作られたルネッサンス様式。
ここはカジミエシュ大王の居城があり、そのまま村の名前になったといわれている。
カジミェシュ大王は外交や軍事に大きな功績があっただけでなく、
内政においても大きな成功を収めている。
司法制度を整備して貴族による権力濫用を押さえ込んだり、
農民を手厚く保護してその生活改善に努めた。
さらに西ヨーロッパで迫害されたユダヤ人を保護し、
国外からの移民による植民も積極的に奨励するなどして、
ポーランドは商業的にも大きく発展することとなった。
1347年にはポーランド王国の基本法を制定し、
1364年には首都クラクフに国内初となる大学・ヤギェウォ大学を設立させるなど、
このカジミェシュ大王の時代にポーランドは大国に発展することとなったのである。
カジミエシュ大王は、
現在ポーランドで発行されている50ズウォティ紙幣の、表面側の肖像に採用されている。
カジミエシュ・ドルヌイ到着
リネク(中央広場)
教区教会
教会のすぐ横の道を登れば居城跡にたどり着く。
カジミエシュ大王の居城跡。
一部が展示場になっている。
結婚記念写真撮影。ポーランドにかかわらず、
米国でも台湾でも観光名所で記念写真撮影をする国は多い。
川は、タトラ山脈、クラクフ、ワルシャワ、トルンを流れバルト海にそそぐヴィスワ川。
城は白い石で造られていた。
ただし、新しく補強された壁は煉瓦つくりになっている。
地面にも同じ石が敷き詰められている。
個の石で造られています。石灰岩でしょうか。
ヴィスワ川を行く船に合図を送っていた元灯台。
居城跡の近くに3本の十字架が立つ丘がある。
そのうち2本には、1705年、1708年と刻まれている。
この村にペストが流行した際に、神に救済を祈るために建てられたものらしい。
日本にも帰化している米国原産の花。
ビールは18世紀から醸造されているティスキエ・ビール。
ポーランドで一番有名なビール。
ティスキエ・ビールはポーランド南部の都市ティヒ市が本場 。
話が横道にそれるが、
以前宇和島市の「ポーランド人の経営する日本旅館」を紹介したことがあるが、
ティヒ市はその旅館の支配人のグレブ氏が生誕した故郷でもある。
ポーランドの代表的な料理のピエロギとザピエカンカ。
ピエロギはモンゴル軍が侵入したときの置き土産。
ザピエカンカは、共産党時代のポーランドで生まれたファーストフード。
これはピザトーストのようなもので、
パンを横半分に切ったものにハムやマッシュルーム、
チーズなどを乗せてオーブンで焼き、トマトケチャップをかけたもの。
以前はザピエカンカのスタンドが街にたくさんあったが、
ベルリンの壁崩壊後、さまざまなファーストフードが溢れ、
少なくなっていたが、最近ノスタルジア的傾向から人気を挽回してきている。
ピエロギの中身はブルーベリーだった。
ブルーベリーのピエロギは珍しい。田舎ならではのもの
ザピエカンカはこのようにして食べます。
16世紀の見事なルネッサンス様式の建物
カジミエシュ・ドルヌイ名物のにわとりパン!
帰路のバス
ワルシャワ近くのヴィスワ川畔。日光浴でにぎわっていた。
琥珀ブログ 平成23年3月20日 初製作

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