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ジェシュフ旧市街
平成26年10月23日
OLD RZEZSOW

Oct.23.2014



 
古来、
ポーランドは四角形の広場を中心にした街を形成していた。
その広場をリネクといい、
リネクは役所などの重要な建物が取り囲むようにしてできていた。
私の大学がある街(ジェシュフ市)にもリネクを含んだ旧市街が残っている。
ジェシュフ市は、
1354年、ポーランド王カジミェシュ3世によって創設された。
1772年の第一次ポーランド分割の際にオーストリア(ハプスブルク帝国)領に組み込まれ、
第一次世界大戦を経てポーランドが独立すると、ジェシュフはポーランド領に戻った。
戦間期には軍事産業の拠点となり、街の工業化が進んだ。
第二次世界大戦後に地下資源の発掘が進み、共産党政権下で引き続き工業が成長した。
ジェシュフ市は伝統的にポーランドの航空産業の中心地で、
20世紀初頭から現在まで航空産業で栄えている。
外国資本もこの地の高い産業技術を求めて
プラット・アンド・ホイットニー社のジェットエンジン工場などが進出しており、
さらにボルグワーナー社の自動車用ターボチャージャー工場も建設されることが決まっている。
ジェシュフ市はポトカルパチェ県の県庁所在地である。
人口は約18万人であるが、都市圏としては約35万人を有している。
ポトカルパチェ県はポーランドの最東南にあって隣国ウクライナやスロバキアに接している。




リネク。中央にあるのが井戸。右端は役所(現在は市役所)
左側はタデウシュ・コシチュシュコ将軍の像
 

ジェシュフ市役所
 

 

 

 

市役所に入った正面奥。掃除が行き届き、花で飾られた気持ちのよい所内。
 

前ローマカトリック大司教ヨハネパウロ2世の像。
ポーランド人にたいへん尊敬されている。
ヨハネパウロ2世の顕彰レリーフはあちこちで見られる。
 

この綺麗な階段を見ていただきたい。ほこりは全くない。
墓といい、家庭の庭といい、たいへんよく手が入っている。
さらに学校も役所もたいへんきれいに管理ができている。
ポーランド人はたいへんきれい好きな国民のようだ。
注:どの街も綺麗ではあるが、街によっては落書きや路上の犬糞が目立つこともある。
 

 

青十字はジェシュフ市の紋章。
 

 

 

大井戸。往年の光景が目に浮かぶようだ。
 

 

 

タデウシュ・コシチュシュコ将軍の像。
ジェシュフ出身ではないが、ポーランド人にたいへん人気がある将軍政治家。
タデウシュ・コシチュシュコ(1746年2月4日 - 1817年10月15日)は
彼がまだ三十代であった1776年から1783年の間は、
アメリカ独立戦争に義勇兵として参加し、ジョージ・ワシントンの副官として戦い、
大陸会議により外国人ながら陸軍准将 に昇進している。
その間、トーマス・ジェファーソンらの自由主義思想に強く影響された。
帰国後、ヨーロッパ初の民主主義成文憲法「5月3日憲法」を制定し、
自らも4年議会に議員として参加し、巧みな政治手腕を発揮した。
この直後、新憲法めぐるロシア帝国の干渉と戦ったが敗れ、
ライプツィヒ、パリで亡命生活を送った。
1793年の第2回ポーランド分割後にポーランドに戻り、
主にジャコバン派と農民たちを糾合してクラクフで蜂起。
最大の戦闘「ラツワヴィツェの戦い」(記念館がヴロツワフにある)で
ロシア軍に大勝し一時はワルシャワ、ヴィリニュスをおさえたが、
やがて兵力を次々と補充してきたロシア・プロイセン連合軍に圧倒された。
1794年10月には彼自身も戦傷を負いロシア軍に捕らわれた。
コシチュシュコの敗北によりポーランド国家は消滅の憂き目にあった。
 

 

 

 

 

 

 

 

リネクに面しているレストラン。
実はジェシュフに到着した翌晩に多くの外国人たちと食事したレストラン。
 

リネクに面しているZen Sushiという日本料理店。
ジェシュフには3軒の日本料理店があるが、3軒とも寿司店である。
 

 

リネクから縦横に旧市街が広がる。
 

 

ところで、これらのリネクの下には地下街がある。
この街の限ったことではなくて、敵襲来に備えた防空壕、
食料品の保管(暗いところが保管に適しているワインやジャガイモなど)、
冬の氷結や寒さを防ぐなど利点があり、店舗まであったようだ。
地下街は、ヨーロッパでは中世時代(数百年前)からあった。
 

 

 

 

展示場にもなっている。写真は昔のリネク。
 

 

 

これは、王家の紋章。蝋を垂らして、刻印したものだ。
この紋章が現在の共和国の紋章となって、
国立及び公立関係の施設には必ずこの紋章が掛けられている。
 

これが公共施設に実際に掛けられている紋章。
ポーランド国旗は赤と白であるが、赤は夕日、白は白鷲を表している。
まさに、この紋章をデザイン化したともいえる。
 

この共和国の紋章は、
もともとは長年、王家の紋章として使われたものだった。
日本でいえば皇室の菊華紋章にあたる。
共産党時代にも使われたが、鷲の王冠は認められなかったので、
写真のように王冠のないな紋章が使われた。
後に、共産党政権が崩壊して、再び王冠を被った白鷲が共和国の紋章になった。
 

白い十字架が現在のジェシュフ市紋章になっている。
 

中央の石組みは300年前のもの
 

 

 

 

 

 

このベンチは、
 

座席を上げると物入れになる。
さらに手前を引き出せば、幅が広がりベットにもなる、と説明するガイド。
この地下トンネルの入場料は6.6ズローチ。約211円。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベンチの枠組みを展示したもの
 

 

再び地上に出てきた。
 

偶然花の入れ替えに出くわした。
 

小さな公園のベンチの後ろにはススキが植えられていた。
ススキは元々ヨーロッパにはないので日本あたりの東アジアから伝来したようだ。
 








 
 琥珀ブログ  平成23年3月20日  初製作
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