Produced & Photographed by Matsutora
剱伎衆かむゐ
平成26年11月13日
THE SAMURAI SWORD ARTISTS, KAMUI
Nov.13.2014
我街に『剱伎衆かむゐ』が初めてやってきた。
『剱伎衆かむゐ』とは、
殺陣パフォーマンスとして、剣術のマーシャルアーツと歌舞伎の舞台性を
含めたパフォーミングアーツを合わせた、
ソードアート剣の芸術として成り立たせたいという思いで活動をしているグループである。
日本では東京を中心に活動し、海外ではアメリカ、イタリア、ポーランド、イギリス、
フランス、スペイン、ベトナムなど各地の劇場やフェスティバルに招かれての舞台公演を披露。
さらにワークショップや学校訪問、講演による現地の人々との文化交流を通じて世界が注目する日本文化を、
伝統と革新が融合する現代の「サムライ文化」として世界に向けて発信している。
剱伎衆かむゐの創設者である島口哲朗氏は、日本大学芸術学部映画学科卒業。
同大学在学中より殺陣を学び、歌舞伎などの舞台で経験を積んだ後、
俳優・殺陣師として活躍中に、クエンティン・タランティーノ監督に見いだされて、
『キル・ビル』にクレイジー88構成員「MIKI」役にて出演、殺陣指導・振付も行った。
今回、『剱伎衆かむゐ』を招聘したのは、プシェミシル日本文化センター『大和』である。
創設者であり現所長のイガ・ジョホフスカ(Iga D醇熔chowska)氏は、
幼少の頃から自然や日本の文化に傾倒し、クラクフのヤギウェウォ大学で心理学科を卒業。
アメリカで過ごし、 そこで月刊「命の四季」を発行、多数の有名人達との会合を持つ。
その後、ポーランドに戻り、自分の「アメリカ」と「日本」を創る事に専念。
ポーランドで度々辛い目にあっても諦めず、自分の夢への道を突き進む。
自身の日本旅行のあまりの素晴らしさに、祖国の人々に、この遠い国を紹 介する為の活動を決心。
自分が好きになった街、プシェミシルで、唯一の日本文化センターを個人で設立。
各地で日本文化フェスティバルを開催しながら、それらの街を日本で紹介する活動に従事。
個人で、「日本をポーランドに」、「ポーランドを日本に」紹介す る大和ポーランド・日本基金を設立。
1994年より日本人ピアニスト小川敦子氏と協力、
まるで日本とポーランドをつなぐ架け橋のように二人で活躍中。
小川敦子氏はピアニスト。京都で生まれる。大阪相愛大学音楽学部卒業。
ワルシャワショパン アカデミーピアノ科大学院終了。
世界各地で室内管弦楽団とコンサートを行った。
1983年から2007年まで大阪相愛音楽大学 にて教鞭を取る。
2007年9月1日よりプシェミシル日本文化センターにおいて、
日本語講師及び日本文化プロモーター、プシェミシル音楽学校のピアノ教師 に従事。
イガ・ジョホフスカ氏と共に ポーランドとヨーロッパでの日本文化普及活動及び、
日本でのポーランド、ポドカルパツキー地方の文化紹介活動に携わている。
『剱伎衆かむゐ』公演のあったフィルハーモニア
『剱伎衆かむゐ』のポスター。
この公演のタイトルは、ポーランド語で“Droga Samurai Jow”となっている。
直訳すれば『武士道をやってみる』
ピアニストの小川敦子氏
『剱伎衆かむゐ』の舞踏
『剱伎衆かむゐ』を招聘した、イガ・ジョホフスカ氏と、協力者の小川敦子氏
『剱伎衆かむゐ』の創始主宰者である島口哲朗氏
スタンディングオベーションが起こった。
スタンディングオベーション(Standing ovation)とは、
演奏会やスポーツイベントなどで、
観客が立ち上がって拍手を送ることである。
素晴らしい演奏や演技、プレーに感動した 観客による最大限の賛辞である。
『剱伎衆かむゐ』の創始主宰者である島口哲朗氏と一緒に
さらに、プシェミシル日本文化センター所長イガ・ジョホフスカ氏と一緒に
記念写真を撮っていたら、教え子達が通りがかった。
「君たちも来てたの!?」ということで一緒に記念写真
更に、ピアニストの小川敦子氏も加わって、最高の写真が撮れました。
日本の童謡を主にした選曲は
日本人のおじさんには真にしっくりとくる。
小川敦子氏のピアノも見事なものでした。
さらに、剣技もあって耳と目で楽しむことができた。
観劇後は学生たちと食事して帰ってきた。いい夜だった。
ところで、
コンサートや観劇に行くときは、黒か灰色の服を着ていくのが慣例だそうだ。
ポーランドだけではなくて、隣国のドイツやさらに隣国のフランスでもそのようだ。
参考ウェブサイト
プシェミシル日本文化センター
剱伎衆かむゐ
琥珀ブログ 平成23年3月20日 初製作

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