Produced & Photographed by Matsutora
日本美術技術センター『マンガ館』
平成26年12月4日〜5日
MUSEUM OF JAPANESE ART AND TECHNOLOGY
Dec.4-5.2014
ポーランドの古都『クラクフ』に
日本美術技術センター『マンガ館』がある。
コレクションの中心は4,600点にものぼる浮世絵と、
日本画、木彫、鎧甲、武具、漆器、着物などが収められている。
施設は日本語、書道などのカルチャースクールや、
日本文化や武道の講義、盆栽同好会などの活動の場としての役割も果たしている。
立地場所は、
ヴァヴェル城(元ポーランド王国の王宮)のヴィスワ川対岸にあって申し分ない。
このセンターは、ポーランド映画界の巨匠アンジェイ・ワイダ監督が、
『京都賞』の賞金をもとに、募金運動を重ねて資金調し、1993年に完成させた。
常設展示には、
ポーランドの著名なコレクター、故フェリクス・マンガ・ヤシェンスキー氏が
収集した7000点もの日本美術がある。
浮世絵の大半はヤシェンスキー氏のコレクションであった。
『マンガ』は昨今のアニメを指すのではなくて、『北斎漫画』からきている。
『北斎漫画』とは、葛飾北斎が絵手本として発行したスケッチ画集である。
人物、風俗、動植物、妖怪変化まで約4000図が描かれている。北
斎はこの絵のことを「気の向くままに漫然と描いた画」とよんだ。
この絵手本は国内で好評を博しただけでなく、
1830年代ヨーロッパに
磁器、陶器の輸出の際、緩衝材として浮世絵と共に偶然に渡り、
フランスの印象派の画家クロード・モネ、ゴッホ、ゴーギャンなどに影響を与えたようだ。
ヤシェンスキー氏もこの『漫画』が気にいって、
『マンガ(Manggha)』をペンネームにし、ミドルネームにもした。
この写真集は、
ヤギュウォ大学、大司教宮殿、旧市街、クラクフショッピングモール、
クラクフ中央駅前広場、旧ユダヤ人街(カジミエシュ地区)なども収録している。
クラクフ旧市街(世界遺産第一号)
ヤギェウォ大学。1363年創立、ポーランド最古の大学。
コペルニクスや聖ヨハネ・パウロ2世(前ローマ法王)もここで学んだ。
大司教宮殿
フランシスコ修道院
聖ペテロ聖パウロ教会
リネク(中央広場)
クラクフ・ショッピングモール(クラクフ中央駅ビル)
クラクフ中央駅前広場
宿泊ホテル
翌朝は雪が降っていた。
クラクフ中央駅前広場
広々とした駅前広場の一部はスケート場になっていた。
仮設舞台もある。
屋台もある。
スタレ・クレパシュ市場。
庶民の市場であるが、現在のポーランドでは、このような形態の市場は多くはない。
柿は世界中"Kaki"だ。
乾燥したラベンダーの包み。洋服箪笥や室内に置く。
どう見ても乾燥シイタケだった。
カジミエシュ地区
1335年にポーランド王カジミエシュによってクラクフとは別の街として作られた。
カジミエシュ大王は、
当時迫害されていたユダヤ人保護に熱心に取り組んだ王として知られ、
彼の時代には多くのユダヤ人がクラクフに移り住み商工業の発展に寄与した。
シンドラーのリストの撮影地としても知られている。
スタラ・シナゴーク。ポーランド最古のシナゴーク(ユダヤ教寺院)。
博物館が併設されている。
中世時代の絵地図。
川を挟んで左側が旧クラクフ、右側がカジミエシュ。
現在はクラクフ市が巨大化し、
旧クラクフもカジミエシュもその大クラクフ市の一部になっているが、
旧クラクフの部分はそのまま現存し、中世時代の街並みを残している。
カジミエシュから見たクラクフ。中世時代。
イザーク・シナゴーク
レム・シナゴーク
このシナゴークにはユダヤ人墓地が残されている。
テンペル・シナゴーク。上に見てきたシナゴークの中では一番あたらしい。
屋根のてっぺんにあるダビデの星
祭壇の奥にもダビデの星があるようだ。
シナゴークではステンドグラスで装飾はしないのかと思っていたが、そうでもないようだ。
ここにもダビデの星がある。
お土産売り場でもダビデの星を売っていた。
カジミエシュ地区(旧ユダヤ人街)は、
小奇麗なレストランや商店が進出し、ナイトスポットにもなりはじめているようだ。
Satoriは『悟り』だろうか。
日本語でも『コーヒー』と書いてある。
古い建物も残されている。
このカジミエシュ地区もクラクフ旧市街地のように観光スポットになっている。
日本美術技術センター『マンガ館』
対岸には旧ポーランド王国の王宮(ヴァヴェル城)が見える。
見渡しの良い窓の向こう側は旧ポーランド王国の王宮(ヴァヴェル城)
アンジェイ・ワイダ監督に贈られた通称『京都賞』。
ヴァイダはワイダのポーランド読み
マウゴジャータ・マルティーニ氏は
1978年より34年にわたって、
クラクフ国立博物館及び日本美術技術センターにおいて、
日本美術の保護、管理、研究、国内外における紹介に尽力、
ポーランドにおける日本美術の第一人者として、
日本の美術と文化の普及に指導的役割を果たされた。
これらの功績を称えて叙勲が与えられた。
上右の掛け軸で小枝に止まっている小鳥でも、余す所なく小さな筆で細部まで書かれている。
このように充実した日本美術館を海外では見たことがない。
京都賞賞金の4500万円で到底できる施設でもないが、
アンジェイ・ワイダ氏の人となりがなしえた偉業だと思う。
陛下及び妃殿下がご訪問されたことは誠に意義があることだ 。
『補足』
ポーランドの大地主の家に生まれたフェリクス・ヤシェンスキは
ヨーロッパ各国を旅する間にジャポニスムに触れ、大の日本美術マニアとなり、
浮世絵、掛け軸、屏風、鎧、兜、刀剣、漆器、着物、印籠等の
日本美術品を15000点も収集した。
彼は批評家、作家として活躍し、
1920年、彼の収集品をクラクフの国立博物館に寄贈した。
しかし国立博物館には既に作品を展示するスペースがなく、死蔵となった。
ここで登場したのが、
坂東玉三郎主演の「ナターシャ」の舞台演出や
映画監督で日本でも名の知られたアンジェイ・ワイダ監督だった。
1987年、
人類の精神的深化・高揚に著しく貢献したとして、
京都賞を受賞した彼はその賞金4500万円を基金として、
「若かった私が初めて日本の美術に触れた時に得たあの幸福感を、
他の人々にも味わってもらいたい」と、
死蔵されているマンガの寄贈品を常設展示する美術館を建設する事を決意。
ワイダ監督の呼びかけに答え、JR東日本労働組合が100万ドル、
日本政府も300万ドルを寄付。クラクフ市も建設地を無償提供。
磯崎新が無償で設計を手掛け、
1994年、ヴィスワ川を挟んだヴァヴェル城の対岸にマンガ館が完成し、
開館式にはワレサ大統領と高円宮も出席した。
この美術館はポーランドで唯一、日本語、ポーランド語、英語併記で
種々の案内表示がされている。
カフェは、ヨーロッパではお目にかかれない、どら焼きやあんパンが名物らしいが、
残念ながら、
私が訪問した日はカフェがイベントに使われていて、食べることができなかった。
日本美術技術センター『マンガ館』は今年創立20周年になった。
クラクフ郊外にお椀を伏せたような可愛いコシチュシコ山がある。
1823年に英雄タデウシュ・コシチュシコを記念して建立された人工の山だそうだ。
海抜326メートルあり、クラクフの 街を一望できるらしい。
タデウシュ・コシチュシコはアメリカ独立戦争にも義勇軍として参加し、
ロシア・プロイセンと戦ったポーランドの英雄だ。
写真はインターネットで獲得した。
山のふもとまで来た。あと1.4kmだが、
この濃霧じゃ眺望は望めないので、後日再挑戦することにした。
琥珀ブログ 平成23年3月20日 初製作

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