Produced & Photographed by Matsutora
アウシュビッツ・ビルケナウ博物館
平成27年1月30日
AUSCHWITZ-BIRKENAU STATE MUSEUM
Jan.30.2015
クラクフ西54kmところにオシフィエンチム(独語:アウシュビッツ)という地方都市がある。
この町は、第二次世界大戦中にアウシュビッツとビルケナウという二つの強制収容所があった。
これらの収容所は世界遺産となり博物館として一般公開されている。
アウシュビッツ・インフォメーションセンター
入場料は無料であるが、入場券をもらって入場する。
収容所内には囚人棟が28棟ある。
右端が収容所入り口
ドイツ語で「働けば自由になる」と書いてある。
“ARBEIT”の“B”が上下逆さまで、上の方が大きく膨らんでいる。
収容者が作らされたものであるが、今となってはどういう意図で作ったのかは不明である。
「このスローガンとは全く反対だ、決して自由になんかならない」
という製作者の声が聞こえてきそうだった。
収容所は有刺鉄線で囲まれている。
電線を絶縁して固定する碍子が使われている。
当時は電流が流れる電化有刺鉄線だった。
囚人棟。同じ規格の建物が28棟ある。内部を展示場にしているものもある。
「ポーランドの国民の闘争と殉教」
上の表題についての展示
こちらの棟は囚人室が再現されている。囚人室も数段階のグレイドがある。
最下位の寝室はまるで馬小屋のように藁だけを敷いた、
というよりも藁を置いただけの寝室もある。写真撮影不可。
こちらは犠牲者となった方々の遺品の靴を展示している。
その他、メガネ、旅行かばん、囚人から切り取られた髪の毛なども大量にある。
また、義足や義手なども大量にある。
ナチスは選民主義だったので、身体障碍者、精神病患者、同性愛者なども抹殺した。
この種の被害者は、ドイツ人が圧倒的多数だったそうだ。写真撮影不可。
「アウシュビッツ」をテーマにした当時の資料や写真が展示されている。
ガス室で使用されたチクロンBの缶の展示。
チクロンBの空き缶
チクロンBは、木片などに青酸ガスを吸着させ、缶に密閉したものである。
缶から出して加熱すると、沸騰点の摂氏25.6度以上で青酸ガスが遊離するらしい。
ガス室の天井に小窓があってそこから投げ入れたらしい。
地下ガス室の様子を再現したジオラマ。
左側は10号棟と11号棟がある。
10号棟と11号棟の間にこの「死のブロック」がある。
政治犯として11号棟(刑務所)に収容された囚人がここで銃殺された。
「死のブロック」に隣接した写真左側の10号棟の窓は目隠が施されている。
11号棟(刑務所)。
この棟の地下18号牢でコルベ神父が餓死刑に処せられた。
見学はできるが、写真撮影不可。
集団絞首台
1947年4月16日に
アウシュビッツ収容所の元所長ルドルフ・ヘスの処刑もここで執行された。
焼却炉・ガス室。
遺体焼却炉(2台)と大量虐殺のガス室がある。内部撮影不可。
ビルケナウ収容所
アウシュビッツ収容所から2km位離れた場所にある。
アウシュビッツよりもはるかに大規模な収容所であり、一大殺人工場だった。
百数十万人の命が奪われたそうだ。
この辺りには大きなプラットフォームがあった。
移送されてきた人々はここで選別が行われた。
一方は「労働者」「人体実験の対象者」、他方はガス室へと送られた。
ビルケナウ収容所には5基の大規模なガス室と焼却施設があった。
大戦末期、ドイツの敗戦が濃くなり、収容所が連合軍によって解放される近づくと、
これらの施設は証拠隠滅のために親衛隊によって爆破された。
そのがれきの山がそのまま残されている。
国際追悼碑
20か国の小さな追悼碑が並んでいる。碑文は各国の言語で書かれている。
20か国の人々が犠牲になったということである。
琥珀ブログ 平成23年3月20日 初製作

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