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カトリック高槻教会
平成27年9月29日
TAKATSUKI CATHOLIC CHURCH
SEPTEMBER 29,2015
高槻は、キリシタン大名で有名な高山右近ゆかりの地。
高槻城主であった右近は、
徳川家康によるキリシタン国外追放令を受けて、
人々の引きとめる中、当時住んでいた加賀を退去した。
長崎から家族と共に追放された内藤如安らと共にマニラに到着した。
イエズス会報告や宣教師の報告で有名となっていた右近は
マニラでスペインの総督フアン・デ・シルバらから大歓迎を受けた。
しかし、船旅の疲れや慣れない気候のため老齢の右近はすぐに病を得て、
翌年の1月8日(1615年2月4日)に息を引き取った。享年64。
葬儀は総督の指示によってマニラ全市をあげて
イントラムロスの中にあった聖アンナ教会で盛大に行われた。
右近の死後家族は日本への帰国を許され、
現在、石川県羽咋郡志賀町、福井県福井市、大分県大分市に
直系子孫の3つの「高山家」があるそうだ。
その右近の臨終の地であるマニラ郊外のアンテイポロにある聖母大聖堂を模して
カトリック高槻教会に建てられ、そのそばに右近会館がある。
その会館のなかには高山右近資料館もある。
また、これらの施設の前庭には、
教会に向かってひざまづいて祈りを捧げる右近の大理石像もある。
高槻駅近くにある高槻センター街
カトリック高槻教会
高山右近像
家紋
カトリック高槻教会は、
マニラ郊外アンテイポロにある聖母大聖堂(Antipolo Cathedral)を摸して造られた。
(下の写真:インターネットで獲得したもの)
カトリック高槻教会内部
高山右近資料館
高山右近
高山右近筆跡
明智光秀の三女で細川忠興の正室。
彼女もキリスト教が禁教だった時代のキリスト教徒として知られている。
カトリック高槻教会近くに野見神社がある。
古社であるが、高山右近城主時代には、軽視され、
神社の隣接地や境内にカトリック関係の施設が建てられていた。
野見神社の道を隔てた側にある高槻商工会議所のあるところに、
かつて高山右近が作った天主堂があった。
琥珀ブログ 平成23年3月20日 初製作

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