Produced & Photographed by Matsutora
大阪カテドラル聖マリア大聖堂
平成27年9月29日
OSAKA ST.MARY'S CATHOLIC CATHEDRAL
SEPTEMBER 29,2015
創立は1894年(明治27年)。
創立時に建てられた「聖アグネス聖堂」は1945年(昭和20年)の大阪大空襲により滅失。
現在の大聖堂は1963年(昭和38年)に落成した。
敷地が細川大名家の屋敷跡という由縁もあって、
大聖堂内内陣左側には細川ガラシャを描いた画が掲げられている。
その「最後の日のガラシア夫人」および聖堂正面の壁画「栄光の聖母マリア」、
右側の「高山右近」は堂本印象の筆、
大小100の窓に施されたステンドグラスは羽淵紅州の作、
十字架や聖像はオーストリアの彫刻家ルンガルチエの作と、
当時一流の芸術家を集めて造られた。
パイプ数2400の巨大なパイプオルガンでも知られる。
近代建築家・長谷部鋭吉の遺作ともいえる建築作品である。
細川ガラシャ散華350年を記念して建てられたモニュメント。
高山右近像
「十字架」 ルンガルチエ 作
「栄光の聖母マリア」堂本印象 筆
ステンドグラス 羽淵紅州 作
「高山右近」 堂本印象 筆
「最後の日のガラシア夫人」 堂本印象 筆
大阪カテドラル聖マリア大聖堂近くにある「越中井」。
この付近は細川越中守忠興(ただおき)の邸跡で、
越中井はその邸内にあったものといわれている。
慶長5年(1600)関ケ原戦の直前、忠興が家康に従い上杉攻めに出陣中、
石田三成は在坂諸大名の妻子を人質にしようとしたが、
忠興夫人玉子(洗礼名ガラシャ)はこれに従わず、
自害が認められていないキリスト教の教義により、
家臣に胸を突かせて37歳の生涯を閉じた。
琥珀ブログ 平成23年3月20日 初製作

© 2015-2025 KOHAKU BLOG. ALL RIGHTS RESERVED.