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高槻城跡
平成27年9月29日
TAKATSUKI CASTLE RUINS
SEPTEMBER 29,2015
室町時代は入江氏の居城であったが織田信長に滅ぼされ、
その後和田惟政、次いで高山右近が城主となった。
天正元年(1573年)からは本格的な城塞が築かれた。
豊臣氏滅亡後は内藤信正が城主となり、以降高槻藩の藩庁として用いられた。
内藤氏の後は土岐氏、松平氏、岡部氏、永井氏とたびたび城主が入れ替わった。
明治7年(1874年)に廃城となり、東海道線が敷設される際、
石垣や木材などがその資材にあてられた。
現在、城域の一部が城跡公園として整備され、復元石垣、高山右近像が建てられている。
江戸時代に日本を欧州に始めて体系的に紹介したオランダ商館長エンゲルベルト・ケンペルは、
1691 年 2 月 28 日,長崎から江戸に行く途中,
大阪から守口、枚方、橋本、淀、京都の順に旅をし、昼食をとった枚方から高槻を望み,
そこに「左側のほうに、地元の君主の白い城が大変美しく際立って見えた」と記録している。
高槻市歴史民俗資料館(旧笹井家住宅)
高槻城跡
高山右近像
高槻城跡にある高山右近像と同じものが、フィリピンのマニラ市にある。(下)
これは高槻市とマニラ市は姉妹都市になっているので、同じ像を双方に設置した。
(マニラの高山右近像はインターネットで獲得したもの)
琥珀ブログ 平成23年3月20日 初製作

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