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リサール公園
平成27年12月13日
RIZAL PARK
DECEMBER 13.2015
ホセ・リサール(Jose Rizal,1861年6月19日-1896年12月30日)の名が冠されている公園。
マニラ湾に沿ったロハス大通りに面している。
彼の名前は、フィリピンをはじめ世界中では「リザール」であるが、
日本ではなにを間違えたか、「リサール」となっている。
ホセ・リサールは、
フィリピン独立運動の闘士にしてフィリピンの「国民的英雄(Heroe Nacional)」。
医師、著作家、画家、学者でもあった。だが、志半ばにして捕らえられ、
スペイン軍の手で銃殺された。しかし、その処刑は後に巨大な反響を招いた。
処刑の翌々年に成立したフィリピン第一共和国のエミリオ・アギナルド大統領は
リサールが処刑された12月30日を「リサールの日」に指定し、祭日とした。
このようにリサールはフィリピンで高く評価されている他、
インドネシア初代大統領のスカルノも
オランダ人がインドネシア語に訳したリサールの著作を通して影響を受けた。
リサール初の伝記はスペイン人でありながらも、
リサール心酔者となったウエンセスラオ・レタナによって1900年にマドリードで出版された。
日本でも、1888年の4月から5月にかけての
リサールのイギリス行に同行した自由民権運動の壮士、末広鉄腸は
1891年にリサールをモデルにした主人公が日本人志士の助けを得て
スペインからのフィリピン独立運動を戦う政治小説『南洋之大波瀾』を著している。
リサールの意志は人々に受け継がれ、フィリピン独立の英雄として現在も愛され続けている。
現在、リサールは『ノリ・メ・タンヘレ』と『エル・フィリブステリスモ(El Filibusterismo)』という2つの小説で有名である。
フィリピン最初期の近代小説である両作は共にスペイン語で書かれているが、
スペイン圧政下に苦しむ植民地フィリピンの様子が克明に描き出されており、
フィリピン人の間に独立への機運を高めた。
学生時代の1879年にはスペイン語の詩のコンテストで最優秀賞を獲得し、
1881年9月にスペイン政府から「土地査定技師」の免許を授与されている。
ホセ・リサールは、当時のフィリピンの最高学府であり、アジア最古の大学でもある、
サント・トマス大学で医学を学んだ医師でもある。
リサールが処刑されたマニラ湾を見渡す地は現在、
リサール公園(Rizal Park、別名 ルネタ公園 Luneta Park)として整備されており、
衛兵に24時間守られている記念碑があり、緑も多くマニラ市民の憩いの場所になっている。
また、リサールは1888年に来日しており、
1ヶ月ほど東京都(当時・東京府)内に滞在している。
これを記念して東京の日比谷公園にはホセ・リサール記念像が設置されている。
ロハス大通り
リサール公園南側入り口
ホセ・リサール記念碑
ホセ・リサールはここで処刑された。その様子を彫刻で再現している。
右端は公園内のあちこちにあるスピーカー。
音楽堂からの生の演奏を流したり、夜間の噴水ショーのBGMなども流す。
売店
半屋外講堂。夜間に無料コンサートや演舞などをよくやっている。
日本庭園と別に日本的な趣向のところもある。
日本庭園。
リサールパーク自体は無料であるが、
その中の個々の施設は有料になっている。日本庭園で25円ほどと安い。
スペインによる13人の殉教者の碑。日本庭園の敷地に内にある。
中国庭園
蘭園
竹でできた門飾りが素晴らしい。
ガーデンパーティーの準備をしていた。日差しが強い国なので、日が落ちてから始まる。
まるで日本の雰囲気
残念ながら蘭の時期ではなくて、蘭の花はほとんどなかった。
遊園地。ここも入場料は25円ほど。
国立図書館(閉館中?)
ツーリストセンター
国立フィリピン人民博物館
国立美術館
すぐ近くにあるマニラ市役所
夜のリサール公園
音楽に合わせて噴水が躍る
噴水の幕に映像が浮かぶ。
リサール公園を抜け出して、
つぃでに近くのイントラムロス(オールド・マニラ)の夜景も見に行った。
ローマ広場周辺の建物
マンション前の通りのクリスマス飾り。
琥珀ブログ 平成23年3月20日 初製作

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