Produced & Photographed by Matsutora
ケソン・メモリアル・サークル
平成27年12月14日
QUSZON MEMORIAL CIRCLE
DECEMBER 14.2015
中央にケソン・メモリアル・サークル(記念塔)がある大きな公園。
記念塔の中央にはマニュエル・ケソンとその妻オーロラ・ケソンの廟がある。
計画都市であるケソンは、ここを中心に建造された。
周辺には官公庁などの大きな建物が立ち並んでいる。
マニュエル・ケソンとは、
大統領再選の1941年12月に日本がアメリカに宣戦布告し、
翌1942年に日本がフィリピンを占領した後、アメリカに渡り亡命政府を樹立した。
フィリピン完全独立を見届けることなく志半ばの
1944年8月1日にニューヨークで持病の肺結核により逝去。
現在のケソン市は彼の名に由来する。
1937年にタガログ語を国語と定めたことから「フィリピン語の父」といわれている。
フィリピンのコモンウェルス(独立準備政府)初代大統領。
ケソン市は、1948年から1976年まで首都であった。
その後ケソン市も含まれたマニラ首都圏(メトロマニラ)が首都になった。
松虎が小・中・高生のころ、
確かに教科書にはフリピンの首都はケソン市となってたのを今でも覚えている。
待虎が住むエルミタからは電車を乗り継いでいく。
上部の紫色は電車
駅に入るには、空港のようにセキュリテーチェックを受ける。
駅によっては長打の列になることもある。
また切符を買うときにも長蛇の列になることも多い。
この行列は切符を買うために待っている人々。
途中下車して、寄り道。
陸橋の上にも店が並ぶ。別の外国でもありそうであるが見たことはない。
ケソン到着
ひときわ高いのが、ケソン・メモリアル・サークル(記念塔)
ケソン・メモリアル・サークル(記念塔)
恋人たちが記念写真の撮影中
ケソン・メモリアル・サークル(記念塔)の壁面のレリーフは歴史の一端が描かれている。
ケソン大統領の生涯における重要場面もレリーフになっている。
ケソン・メモリアル・サークル(記念塔)公園の一角。
釣鐘のようだ
日本語で書かれている。
公園内のクリスマスツリー
公園に面した通りにあった。クリスマスの市が立つようだ。
このような形態の市はポーランドでよく見かけたので、懐かしかった。
琥珀ブログ 平成23年3月20日 初製作

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