Produced & Photographed by Matsutora
ニノイ・アキノ公園
平成27年12月14日
NINOY AQUINO PARK
DECEMBER 14.2015
ベニグノ・アキノ・ジュニア元上院議員を記念した公園。
園内には野生動物救助センターもある。
ベニグノ・アキノ・ジュニアとは、
1983年にマニラ国際空港で暗殺されたあの上院議員である。
彼の死後、エドゥサ革命が起こりマルコス政権は崩壊し、
彼の妻コラソン・アキノが大統領に就任した。
先日天皇陛下及び皇后陛下をご招聘した
ベニグノ・アキノ3世(フィリピン共和国第15代大統領)は、
ベニグノ・アキノ・ジュニア元上院議員とコラソン・アキノとの唯一の息子である。
彼には、テレビの司会者で女優のクリス・アキノは妹がいる。
ベニグノ・アキノ・ジュニア元上院議員はニノイの愛称で呼ばれている。
今日でも根強い人気を誇っており、フィリピン共和国の英雄である。
2010年発行の新500ペソ札には、
ニノイとコリー(コラソン・アキノの愛称)の夫婦肖像が印刷されており、
その肖像画の横には息子であるベニグノ・アキノ3世の署名が書かれている。
ニノイが暗殺されたマニラ国際空港は「ニノイ・アキノ国際空港(NAIA)」と改称されている。
ベニグノ・アキノ・ジュニアーは有名な親日派で、
東京都知事の石原慎太郎氏の親友であり、
石原慎太郎氏は暗殺事件のドキュメンタリー小説を書いているようです。
アキノ家の先祖はっきりしていませんが、日本系という伝承もあります。
「アキノ家の祖先はラ・ウニオン州のアゴオ(Agoo)の辺りに流れ着いた日本人だ」
という伝承です。
ちなみに、アゴオは昔はパンガシナン州に属し、
1572年に時のレガスピ総督の命によりホアン・デ・サルセードが訪れたときに
「エル・プエルト・デ・ハポン」(日本港)という名前が付けられ、
古くから日本人によるバーター貿易(特に鹿の皮)で栄えた港として有名でした。
しかし、その時に日本人たちはスペイン人たちから攻められ、
その後しばらくして居住していた日本人達はアゴオの港を締め去ったということです。
このような日本の港はルソン港の北部(イロコス、カガヤン、イザベラ、アウロラの各州)に
たくさんあったようです。
口伝による伝承だけなので記録はないのが残念ですが、
もし事実だとしたら15〜16世紀と思われます。
アキノは「秋野」とも書き換えられるだけに、興味深い伝承ではあります。
コラゾン・アキノ大統領(嫁)の方はコー・ファン・コーという華僑の財閥の娘で
タルラック州ルイシータの出身です。
(注)
写真撮影は平成27年12月14日であるが、
その後の整理に遅れ、ホームページ制作は平成28年2月5日である。
ニノイ・ホール
裏側から見たニノイ・ホール
ここでも恋人たちの記念写真かと思ったら、
そうではなくて、商業写真の撮影中だった。
日本の石灯篭が置かれています。
琥珀ブログ 平成23年3月20日 初製作

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