Produced & Photographed by Matsutora
日比友好公園の
高山右近像
平成27年12月15日
THE STATUE OF TAKAYAMA UKON
PLAZA DILAO
PHILIPPINE JAPAN FRIRNDSHIP PARK
DECEMBER 15.2015
フィリピンのマニラに高山右近像がある。
高山右近は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。
代表的なキリシタン大名として知られている。
慶長19年(1614年)、加賀で暮らしていた右近は、
徳川家康によるキリシタン国外追放令を受けて、
人々の引きとめる中、加賀を退去した。
長崎から家族と共に追放された内藤如安らと共に
マニラに送られる船に乗り、マニラに12月に到着した。
イエズス会報告や宣教師の報告で有名となっていた右近は
マニラでスペインの総督フアン・デ・シルバらから大歓迎を受けた。
しかし、船旅の疲れや慣れない気候のため老齢の右近はすぐに病を得て、
翌年の1月8日(1615年2月4日)に息を引き取った。享年64。
葬儀は総督の指示によってマニラ全市をあげて
イントラムロスの中にあった聖アンナ教会で盛大に行われた。
右近の死後家族は日本への帰国を許され、
現在、石川県羽咋郡志賀町代田、
福井県福井市、大分県大分市に直系子孫の3つの「高山家」がある。
後に、この高山右近がきっかけとなって、
高槻市とマニラ市は1979年1月25日に姉妹都市提携をした。
現在、マニラ市の高山右近像のある小公園は日比友好公園になっている。
この高山右近記念碑は、高山右近や、共にこの地に追放された内藤如安や、
その他のキリシタンたちが築き上げた日比友好の絆を永久に残すべく、
ここ日本人街跡であるディラオ(現在のパコ)にフィリピン歴史学会が建立した。
マニラ市のPNR(フィリピン国鉄)パコ駅
パコ駅前にある日比友好公園のなかの高山右近像。後方の白いビルは元パコ駅舎。
孫と遊ぶ祖父。フィリピンはどこでも友好的である。
物珍しそうに眺めている観光客(私)に撮りましょうかと声をかけてくれる。
高山右近の前で撮った写真はこのお爺さんが撮ってくれた。
公園全景。中央に高山右近の像がある。
(参考)こちらは、高槻城(大阪府)にある高山右近像。
琥珀ブログ 平成23年3月20日 初製作

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