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アヤラ博物館
平成27年12月15日
AYALA MUZEUM

DECEMBER 15.2015



マカティー市(人口51万人)の生みの親、アヤラ財団の博物館。
見どころは、紀元前の狩猟風景から1946年の共和国宣言までの歴史が
60もの立体模型で展示されている。



 

 

ボートギャラリーの展示
 

立体模型によるフィリピンの歴史。60の場面が、番号順に並んでいる。
 

模型であるが撮影すると絵画のように見える。
 

イスラム教伝来(1200年、ミンダナオ島)
 

フィリピン最初のミサ(1521年)
 

血の盟友
ミゲル・ロペス・デ・レガスピはフィリピンにやってくると
フィリピン人を助け、ボホル島のシカツナ国王とは血の盟友を結び、
ルソン島の植民地支配が許された。(1565年)
 

1593年、中国人の進入者との闘い(1593年)
 

ドミニコ会が学校を作る。
学校では、文法、神学、人文科学を教えた。(1611年)
その学校は現在、アジア最古の大学で、サント・トーマス大学と呼ばれている。
わー、松虎の大学だ!私はここで教官をしている。
 

模型なので別アングルでもう一枚撮影
 

説明文の撮影に失敗して何を表したものかわからない。
 

ホセ・リサールが処刑される。(1896年)
 

スペインからの独立宣言(1896年)
 

日本軍の進撃(1942年)
 

バターン死の行進。
バターン半島で日本軍に投降したアメリカ軍・フィリピン軍の捕虜が、
収容所に移動するときに多数死亡した。
行進の全長は120kmで、その半分は鉄道とトラックで運ばれ、
残り42kmを3日間徒歩で移動した。トラックも壊されてないために歩くしかなかった。
日本兵も歩いているが、米兵達は降伏した時点で既に激しく疲弊していた。
さらに炎天下での行進が追いうちをかけた。約42Kmの道のりで多くの捕虜が倒れた。
このときの死亡者の多くはマラリア感染者とも言われている。
フィリピンでは、バターン半島が陥落した4月9日は、
勇者の日 (Araw ng Kagitingan) として休日に定められている。
 

日本軍とのゲリラ戦
 

フィリピン独立(1946年)
 








 
 琥珀ブログ  平成23年3月20日  初製作
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