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ブラック・ナザレ祭
平成28年1月9日
FEAST OF THE BLACK NAZARENE
JANUARY 9.2016
毎年1月9日にマニラのキアポ教会にある
十字架を担いだ等身大の黒いイエス・キリスト像(ブラック・ナザレ像)が
リザール公園からキアポ教会までの道のりをパレードするという宗教的祭り。
ちなみにナザレは、イスラエル北東部の都市で、
イエス=キリストが幼少期と公生涯を過ごした土地の名前である。
1月9日に行われる理由は年度初めてのノベナ(9日間連続して行われる祈り)に関係する。
“イエスが「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」(ルカ18・1)と
祈りの重要性を弟子たちに教えたように、
忍耐強く祈り求める実践として、3日ずつ祈り、3日の祈りを3回繰り返して9日となる。
その9日目が祭りとなる。
このキリスト像は、なぜ黒いのか?
この像がメキシコのアカプルコから宣教師によって1606年にマニラに運んで来られた時に、
船中で火災が発生し、象牙の像が黒くごげてしまったからと伝えられている。
だが、いつのころからか、この像は奇跡を起こし、
病気を治す力があると信じられるようになった。
マニラ旧市街を練り歩く像には、はだしの男女がどうにかして像に触れようと殺到する。
像に近づけない人々は、像にめがけてタオルを投げて、
像のそばにいる人がそのタオルでナザレ像を撫でて、それを投げ返してもらうことによって、
間接的ではあるが有難い接触が完了する。
さらに、それらのタオルをミサに参加させることによって、
より霊験あらたかになると思われているようだ。
キアポ教会の黒いキリスト像は、なぜパレードするのか。
これはこの像がメキシコからマニラにやってきた当時の様子を再現しているからである。
また、黒いキリスト像は、キアポ教会の1体だけでなくて、
大小取り混ぜて無数に出てくる。
いわば各町内会が自分たちで黒いキリスト像を保有し日ごろから崇拝しているが、
それらのキリスト像もこの日にキアポ教会までパレードする。
また個人の自宅で祭っている黒いキリスト像もキアポ教会へきてミサに参加するようだ。
この祭りは、今年で409回目にあたり、500万人以上が押し寄せるそうである。
マニラを代表する祭りになっている。
町内会から繰り出してくる黒いキリスト像
かわいい人形は、
サントニーニョ(幼少期のイエス)で、この祭りには直接関係はないが、
フィリピン全土でたいへん篤く信仰されている。
フィリピンの商店などには、縁起物として店頭などによく置かれている。
フィリピンの国花「サンパギータ(Sampagita)」の飾り。
「永遠の愛を誓う」を表すタガログ語の「Sumpa-kita」がこの花の名の語源。
教会前では日常的に売られている。買って帰って、車に掛けたり、部屋に飾ったりする。
お守りのようなものである。
別名は「アラビアジャスミン(Jasminum sambac)」である。
松虎も買いました!
松虎のタオルでイエスの顔を拭いてもらっている。
マスコミも多い
突然巨大モニターの中央に松虎が大きく写っていた。
すぐにカメラを取り出してモニターを撮影した。
かろうじて右端に映っていたが、まだ運が良かった。
この後すぐにカメラは別のところを写していた。
キアポ教会北側
キアポ教会北側
キアポ教会内部
黒いイエス像はすでにパレードが終わってに祭壇に鎮座している。
ミサの言葉は電光掲示板にタガログ語で表示される。
「父(神)」と「子(キリスト)」と・・・・。と書いてあるような。
松虎のタオルも霊験あらたかになった。四国の自宅の神棚に祭ることにします。
・・・、あなただけの・・・。
キアポ教会南側
パレード中の黒いイエス像(右側)
松虎が教会へ行った時には、黒いイエス像はパレード終えて教会に鎮座していた。
本物の黒いイエスがパレードするのは見ていないので、
インターネットでパレード中の写真を獲得した。
その翌日のキアポ教会。祭り当日はこの道路が歩行者天国になっていた。
琥珀ブログ 平成23年3月20日 初製作

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