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イントラムロス
平成27年12月7日
INTRAMUROS

DECEMBER 7,2015



イントラムロスは16世紀にスペイン人たちによって建てられた、
フィリピンの首都マニラの最古の地区であり、パシッグ川南岸に位置する。
その名称は直訳するとスペイン語で「壁の内側で」となり、
壁で囲まれた都市または要塞を意味するほか、
その厚く高い壁と堀とで囲まれた構造を言い表している。
スペイン時代には、イントラムロスはマニラそのものだと考えられていた。



城壁は今も残っている
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この地区はこのような格好をした人が目につく。
多分スペイン時代の伝統的な服装と思われる。
 

日章旗が見えたので近づいてみた。
 

ホテルだった。
 

こちらは世界遺産「サン・オウガスチン教会」。フィリピン石造建築では最古である。
 

 

 

なんと結婚式の最中だった。世界遺産の建物で式を挙げるのも乙なもんだね。
 

花で飾られたロールスロイスも新婚カップルをお待ちしている。
 

第二次世界大戦の戦没者を慰霊する記念碑。
 

 

カレッサ(馬車)。街中でも結構走っていてマニラに住んでいるものとっては珍しくはない。
観光用だときいているが、まだ乗ったことはない。
 

マニラ大聖堂。
松虎のマンションから歩いてちょうど30分で来れる。
フィリピンで最も重要な教会で、
歴史的な教会ではあるが第二次世界大戦で瓦礫の山と化し、戦後再建されたもの。
 

ここも結婚式で使われていて、観光客を含めて部外者は立ち入り禁止だった。
 

 

 

マニラ大聖堂前はローマ広場といわれている。
 

ローマ広場の周辺
 

 

 

 

 
 
サンチャゴ要塞。
城郭都市の中でも、戦略上もっとも重要なところであり、
歴史的出来事も数多く起こったところでもある。
フィリピンの英雄であるホセ・リサールはスペイン官憲に逮捕され、
この要塞の監獄に囚われの身になった。
その後、裁判にて銃殺刑を宣告されたが、
ホセ・リサールの有能さを惜しんだスペイン官吏からの勧めを断り、
1896年12月30日ホセ・リサールは自らの足でこの要塞から
ルネータ公園(後にリサール公園と改名)まで歩き、銃殺刑に処せられた。
1899年2月アメリカとフィリピンの戦争(米比戦争)が勃発し
1913年まで続いたが、サンチャゴ要塞は戦中も戦後も利用された。
その後、日本軍による真珠湾攻撃、そして翌9日中華民国が宣戦布告し太平洋戦争が勃発。
1941年12月23日本間雅晴中将率いる第14軍がルソン島リンガエン湾に上陸、
1942年1月2日マニラを血を流すことなく占領し、この要塞を司令部として利用した。
第二次世界大戦末期の1945年2月3日から同年3月3日まで
マニラに残留していた日本軍とアメリカ軍(連合軍)との間で繰り広げられた市街戦で、
サンチャゴ要塞を含むイントラムロスは瓦礫の山と化してしまった。
また、この戦いの最中600名もの捕虜が
この要塞のダンジョン(Dungeon)と呼ばれる地下牢で、
パシッグ川(Pasig River)から水を引いて溺死させられた事件も発生している。
 

 

 

 

 

 

 

 

サンチャゴ要塞最重要場所
 

 

 

 

彫刻はホセ・リサール像。後方の建物はリサール記念館になっている。
ホセ・リサールはこの記念館の所で処刑前まで暮らしていた。
 

ホセ・リサールの幽閉されていた様子を彫刻で表している。
 

サンチャゴ要塞はパシッグ川に面して造られている。
 

 

 

地下牢
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホセ・リサール記念館
 

 

 

 

幽閉されていたホセリサールの再現像
 

ホセリサールの遺品
 

サンチャゴ要塞をでるとプルメリアの花が咲いていた。
 

 

 

市民大学
 

元コラソン・アキノ大統領の名前を冠したホールがあるようだ。
 

グーグルマップ。赤星:イントラムロス、水色星:リサールパーク、黄色星:松虎のマンション
 








 
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