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ハノイ旧市街
平成29年4月8日
OLD TOWN PHO CO
APRIL 8. 2017
11世紀から19世紀まで、北部ベトナムの首都はタンロンという名前だった。
江戸が東京に変わったように、ハノイはその後の名称である。
そのタンロンの中心区は、歴代皇帝が居城していたタンロン城だった。
この旧市街は、その時代に一大商業区だったエリアで、
現在は世界遺産には指定されてはいないが、
ベトナム政府が管轄する指定遺産となっているために、
建て替えなどが行われずに、古き良き町並みをいまに保っている。
とはいえ、ハノイのどこのショッピングエリア、デパート、市場と比較しても
圧倒的な商品量を誇り、学生に聞くと買い物はこの旧市街に来てるようだ。
当時この一帯は36の組合によって支えられていた。
組合はそれぞれ銀を売る店であったり、線香を売る店、漢方を売る店、金物屋、
ブリキ製品、墓石、竹製品、などさまざまであったが、
通りは同業組合ごとに区分されていたので、
通り名も組合の名(商品名)がつけられて分かりやすくなっている。
その36の組合からなる旧市街を、
近現代に入ってからは「ハノイ36通り」と呼ぶようになったが、
これは外国人の間での呼称で、
ベトナム人は旧市街という意味を持つ「フォーコー」と呼んでいる。
ホアンキエム湖。左の建物は中央郵便局。

ハノイは湖の多いところである。あちこちに湖が点在するが、
湖の水は、どこの湖でも東南アジアの中にあっては格段の綺麗さである。

ホアンキエム湖畔にある水上人形劇場


旧市街。写真のような小さな店が連なっている。
結構広い地域なので、すべてをあるくとくたびれてしまう。




ベルト屋さん。ベルトだけを売っているが、このようなベルト屋さんも何軒かある。



東河門
これはタンロン城壁に築かれた城門。
1873年にこの門よりフランス軍が侵攻し、
それに抵抗し亡くなった人物クアンチュオンにちなんで
クアンチュオン門とも呼ばれている。
1749年に高さ9m幅10mに土盛りされ、当時は16の城門があった。
東河門以外の多くの門は、フランスによる植民地時代に破壊された。



この通りは祭祀用品(さいしようひん)を売る店が多い。








桑の実を売っている。ハノイは絹織物の産地でもある。

ハンバック通り
この辺りは銀製品を売る店が多いが、金製品や翡翠を売る店もある。







キムガン神社
旧市街の中には神社が多いが、
それらの神社はそれぞれの職業を始めた人を祀っているのだそうだ。
キンガン神社はハンバック通りにある。
ハンバック通りは銀製品を売る店が多いことで知られている。
15、16世紀ごろ、ハイズオン省チャウケ村出身の役人が、王様から銀貨の鋳造を任された。
その役人は、銀細工で知られていた故郷のチャウケ村の職人のほか、
タイビン省のドンサム村、ハノイ郊外のディンコン村の職人たちを集めた。
これがハンバックの始まりである。
職人たちの本業は銀貨の鋳造だったが、その後、金や銀の装飾品なども作り始めた。
キムガン神社は、ハンバックを作ったチャウケ村出身の職人たちを祀るために建てられたが、
職業の創始者を祀るほかに、昔は銀の原料や商品を保管する場所として使われていたそうだ。










この通りは土産物を売る店が集まっている。

懐かしい!絹ごし豆腐に黒蜜などをかけて食べるスイーツ。

フィリピンでよく食べた。
早速買ってみたが、甘みはフィリピンのほうが濃く美味かった。

ハノイ最大の市場・ドンスアン市場
この市場で売られているものは、ハノイの人々の日常生活そのものである。
朝から閉店まで(店舗によるが、だいたい7〜18時頃)大勢の人で混み合う、
生活に欠かせない市場となっている。
1階は日用雑貨、2〜3階は衣料品の店が並んでいる。
店の中には卸売り(業者さんにのみ、まとめて大量に売る店)の店もあって、
少量では売ってくれないところもある。



















琥珀ブログ 平成23年3月20日 初製作

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