Produced & Photographed by Matsutora
タンロン遺跡
平成29年4月16日
IMPERIAL CITADEL OF THANG LONG
APRIL 16. 2017
1010年、ベトナム最初の長期王朝リー(李)朝の
初代皇帝リー・タイトー(李太祖)は、都をタンロン(昇龍)(現在のハノイ)に定めた。
唐(中国)の高駢が9世紀末に築いた城壁(大羅城)の土台を基礎としてタンロン城は築かれ、
その後歴代王朝により何度も再建されていった。
しかしグエン(阮)朝時代(1802〜1945)を迎えると、
1802年、初代ザーロン帝は都をタンロンからフエ(ベトナム中部)に移した。
遷都するにあたって、重要な建築物は分解されて運ばれ、
フエで再度組み立てられたということだ。
タンロン遺跡は、時代の遺跡が重なっているのが特徴である。
2010年8月にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
レーニン公園の近くでバスを降りる。


戦没者慰霊塔も近くにある。

祖国は戦死した勇者を永遠に感謝します。


そのすぐ横にある新国会議事堂

タンロン遺跡入場券売り場


この写真を撮っていたら、

面白そうなので一緒に撮ってくれと頼まれた。
実は、彼らは少し日本語がしべれる。
実習生ではないが、ことしの10月には、日本の企業に転勤するのだそうだ。
右側手前の二人の女性は、日本人で、
ベトナム人を日本へ送り込む係りをしているらしい。

通称タンロン城広場

皇帝一族の住居があった宮城の南側に、ただ一つ開かれた端門。




端門の上に上がってみた。

かぶっている帽子は、ベトナムの国旗を模様にしたもの。

屋上庭園のように、門の2階分に設置された庭園。
こんな巨木が育っている。3階以上は非公開。

2階部分から眼下の発掘現場を見る。


2階部分からの眺望
タンロン遺跡の南端になる国旗掲揚台が見える。
国旗掲揚台はベトナム軍事歴史博物館の敷地内にある。









龍の階段は、
後レー朝期最も栄えたレー・タイントン皇帝の時代、1467年に造られた。
四匹の龍が残されているが、中央の二匹は5.3mの長さで、
体に7つの屈曲があり 5本の爪が見られる。
両端の二匹は雲の模様にデザイン化されている。

龍の階段を上ったところにある敬天殿跡
敬天殿は1428年にレー・タイトーによって、
李朝や陳朝期の宮殿の基礎の上に建てられた。
皇帝とその家族の生活の場所で、謁見や儀式なども執り行われた。

ツツジだな〜。ふと日本を思い出す。
ツツジはアジアに広く分布しているようだ。
ハノイにあってもおかしくはないのかもしれないが、
タンロン城に植えてあるのはうれしい。

後楼
ここは、19世紀グエン(阮)朝時代、
皇帝が都のフエからハノイを訪れ敬天殿に宿泊した時、
随行してきた側室や女官達が皇帝のお世話をするために控える場所となった。







霧雨でかすむ遠景



≪後記≫
ハノイの冬は奇妙だ。
ハノイに赴任して以来、2か月と1週間になるが、晴れた日はたった1日しかなかった。
それも空を半分ほど覆う青空だった。毎日曇りなのである。その上、よく霧雨が降る。
1日中降ることさえある。奇妙なのはこれだけではない。
朝は暖かくて、下シャツなしのカッターシャツ1枚で通勤しても、
昼にかけてだんだん寒くなって、下シャツを着て、
カーデガンでもひっかければちょうど良くなるのである。
一般には、明け方は寒くとも次第に暖かくなっていくものだが、
ハノイはそうではない日がある。
ハノイ子でも、衣類の調節が難しいらしい。よく喉風邪をひいている。
ハノイに赴任して以来、咳を聞かなかった日は1日もない。
誰かが、ゴホンゴホンとやっている。
このような気候で、写真を撮影すると、彩度は低く、暗くなりがちなので、
見栄えをよくするために、明暗、彩度、明暗の比率などを調整してきた。
そのために公開している写真は、実際よりも鮮やかな画面になっているが、
今回は、どんよりとしたハノイ特有の気候をそのまま
みなさまにお届けするために無調整で掲載している。
琥珀ブログ 平成23年3月20日 初製作

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