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大阪滞在
平成29年7月31日-8月1日
STAY IN OSAKA
July 31-August 1. 2017




ベトナム赴任直前に大阪に逗留した。
愛珠幼稚園、適塾、東洋陶磁博物館、中之島公園、国立国際美術館など訪問したり、
買い物がてら難波や心斎橋や梅田をぶらぶらしたり、
新世界で飲食したりと有意義な時間を過ごした。




愛珠幼稚園
1880年6月1日に開園した。
現存する幼稚園としては大阪府内では最も古い歴史をもち、
また日本でも2番目に古い歴史をもつ。
現存する木造の幼稚園園舎としては日本最古、
また民間の手によって建てられた幼稚園としても日本最古となっている。
淀屋橋の南方、船場のオフィス街の中に位置し、適塾跡に隣接している。
園の敷地は江戸時代の銅座の跡地で、その記念碑が建つ。
残念ながら、内部は見れなかった。









 
適塾(緒方洪庵舊宅及塾) 
蘭学者・医者として知られる緒方洪庵が
江戸時代後期に大坂・船場に開いた蘭学の私塾。
正式には適々斎塾(てきてきさいじゅく)という。
また、適々塾とも称される。緒方洪庵の号である「適々斎」が名の由来である。
幕末から明治維新にかけて活躍した人材を多く輩出し、
現在の大阪大学医学部および慶應義塾大学の源流の一つとされている。








適塾内部




適塾の開塾二十五年、
その間におよそ三千人の入門者があったと伝えられている。
門下生の自筆による姓名録が残っており、
1844年(弘化元年)から1862年(文久2年)までの
636名の姓名・入門年・出身地が記載されている。
現在の都道府県で出身地を分けると、山口県が56名で最も多く、
洪庵の出身地の岡山県が46名で2番目。
その他、大阪府は19名、鹿児島県は7名となっている。
また、青森県と沖縄県を除いて、
北は北海道から南は鹿児島県まで全国から入門している。
主な門下生は、 
池田謙斎(日本初の医学博士号の受領者)
大村益次郎(日本近代陸軍を創設。靖国神社創建を献策)
佐野常民(日本赤十字社初代総裁)
杉亨二(日本近代統計の祖)
高峰譲吉(世界初のアドレナリンの発見者)
手塚良仙(手塚治虫の曽祖父)
長与専斎(内務省初代衛生局長)
福沢諭吉(慶應義塾の創立者)
本野盛亨(読売新聞社を創業者)など多数。


四国からは、徳川慶喜の侍医となった香川県の柏原学而や、
五稜郭の設計及び建設した愛媛家大洲市の武田斐三郎の名前が見える。



 
東洋陶磁博物館
高麗・朝鮮時代の朝鮮陶磁、中国陶磁を中心に、
国宝 2件、国の重要文化財 13件を含む約4000点を収蔵している。
その中にはベトナム陶磁も含まれている。残念ながらここも閉館中だった。


中之島公園バラ園
ここは数年前にイルミネーションを見に来たことがある。








踏み石ではあるが、年号が刻まれている。


1900年から10年ごとに年号が刻まれている。


世界中でバラの新種が発表されているが、
発表された年代のバラが植えられている。


つまり、このバラは品種改良され1910年に新種として世に出たバラ。

 
中之島公園は三角州にできた公園である。
バラ園からさらに上流に向かえば、東端部は、堂島川と土佐堀川に分けている。


先端には安藤忠雄氏の構想による噴水も設置されている。 


実はこの東端部に来たのは48年ぶりである。 
当時は泥水でごみと一緒に犬の死骸や 
腐ってボロボロになったミカン箱や板切れ等が絶え間なく流れていた。 
どうしてこんなに汚いのか理解不能だったが、 
その後、上流の川沿いにアンタッチャブルな地域があって 
行政も手に負えなかったというのを後から聞いた。 
宮本輝氏の「泥の河」はここからさらに下流になる。 
あれから48年、なんと綺麗な川になった。 
もはや決してごみの河でも泥の河でもない。 
大阪市のご苦労に心から感謝したい。 


但し、わずかではあるが、ナイロン袋やペットボトルなどのごみがあるにはある。 


この小舟は、そのごみを網ですくいあげている。


川岸にいた鳩
サルなどが相方の毛繕いをすることはあるが、鳩がするのは初めて見た。


気持ちよさそうに目をつむった。




国立国際美術館


ブリューゲル「バベルの塔」展をやっていた。
有名な絵ではあるが、実物を見て初めて気が付いた。さすがに名画である。










 


 
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