Produced & Photographed by Matsutora
戦争証跡博物館
平成30年3月4日
WAR REMNANTS MUSEUM
March 4, 2018
敷地内にはベトナム戦争で使用された戦闘機や戦車の野外展示の他、
コンソン島刑務所の牢獄を再現した建物や売店が存在する。
展示館の屋内には、大砲や爆弾などの遺物、
当時の報道写真などの戦争の足跡をたどる各種記録が展示されている。
他にも戦後のものとして枯葉剤の犠牲となった人々の写真や、
世界中から集められた反戦ポスターを展示する児童向けのコーナーも存在する。
ベトナム戦争中に命を落とした戦場カメラマン、
報道写真家たちについて紹介する階があり、
ロバート・キャパを始めとした、
世界中のカメラマンについての紀行文が写真とともに飾られている。
日本人カメラマンも多く紹介されており、
ピュリッツァー賞を受賞した沢田教一の『安全への逃避』も展示されている。
また、『地雷を踏んだらサヨウナラ』で知られる一ノ瀬泰造を紹介する文と、
彼が愛用していたカメラ(ニコンF。弾丸が貫通している)の写真があるほか、
石川文洋と中村梧郎の常設コーナーが設けられている。
また、日本共産党提供によるコーナーには、
当時の日本でのベ平連などによる反戦運動の様子や、
赤旗紙の広告なども展示されている。



枯葉剤で枯れ果てた大地


驚いたことには、
米軍は枯葉剤を北ベトナムに散布したのではなくて、
長年にわたって南ベトナムに散布したらしい。
次の地図の中央下にサイゴンがある。
黄緑の地域は、枯葉剤が1度散布されたところ。
ピンクは2〜3度、紅は4回以上散布されたらしい。
米軍は北爆とともに枯葉剤を北ベトナムに
大量に散布していたと勝手に思い込んでいたので、
サイゴン近郊にまで大量に散布していたのを知って少なからず驚いた。
アメリカ軍を手古摺らした南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)の掃討戦術に、
べトコンのいわば大きな隠れ蓑であるジャングルを丸裸にすべく、
登場したのが枯葉剤投下だったようだ。

枯葉剤の犠牲となった人々の写真

報道写真


ベトナム系米国人のニック・ウット氏が撮影した「戦争の恐怖」

沢田教一氏が撮影しピュリッツァー賞を受賞した『安全への逃避』

一ノ瀬泰造氏愛用のカメラ
ベトナム戦争中に一ノ瀬が一時帰国した際、
弾丸が貫通したニコンFを自宅に持ち帰っていた。
後に、このカメラが、一ノ瀬を紹介する文章と共にこの博物館に展示された。
一ノ瀬は、フリーランスの戦争カメラマンとして活躍した。
1972年3月、ベトナム戦争が飛び火し、戦いが激化するカンボジアに入国。
以後ベトナム戦争やカンボジア内戦を取材した。
カンボジア入国以後、クメール・ルージュの支配下に有った
アンコールワット遺跡への単独での一番乗りを目指しており、
1973年11月、「旨く撮れたら、東京まで持って行きます。
もしうまく地雷を踏んだら“サヨウナラ”!」と友人宛に手紙を残し、
単身アンコールワットへ潜入し、消息を絶った。享年26歳だった。
9年後の1982年、一ノ瀬が住んでいたシェムリアップから
14km離れたアンコールワット北東部のプラダック村にて遺体が発見され、
1982年2月1日に現地へ赴いた両親によって確認された。
その後、1973年11月22日もしくは23日にクメール・ルージュに捕らえられ、
「処刑」されていたことが判明した。
処刑された現場であるシェムリアップ州には、村人が立てた墓がある。
一ノ瀬の生涯は書籍や舞台などで取り上げられた。
1985年には、岡本早生主演・渡辺範雄監督による劇映画『泰造』が公開された。
また1999年には、
浅野忠信主演による劇映画『地雷を踏んだらサヨウナラ』が公開され、
一ノ瀬の没後30年にあたる2003年には、
ドキュメンタリー映画『TAIZO〜戦場カメラマン・一ノ瀬泰造の真実〜』も公開された。



全てではないが、日本語で説明されているところもある。

「MOTHER」というタイトルの彫刻。
爆弾の鉄片から作ったもので、全国彫刻10周年展覧会で激励賞を受賞した。








琥珀ブログ 平成23年3月20日 初製作

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