Produced & Photographed by Matsutora

 
大南寺
平成30年5月20日
DAINANJI TEMPLE
May20, 2018



 
1975年のサイゴン陥落以後、
それまでも20年もの長さに渡って続き泥沼状態であったベトナム戦争の最中、
ボートピープルとも呼ばれた小舟に乗って、戦火を逃れて他国へ移ったインドシナ難民、
その多くはアメリカやオーストラリア、カナダ、ヨーロッパ各国に移り住んだが、
そのうちの1万人余りの人々は日本政府によって受け入れられた。
日本に渡ったインドシナ難民は国内に設けられた
二か所の定住促進センターがある街に移り、その地で生活を始めた。
そのうち関東は神奈川県大和市あり、
代表的な場所として神奈川県営いちょう団地が
インドシナ難民とその子孫が多く住む場所になった。
最近、いちょう団地はベトナムタウンとしてメディアで取り上げられている。
そして、もう一か所の定住促進センターが姫路市に置かれた。
それから30数年後、ベトナム寺がベトナム難民の心の拠り所として
難民自身の手によって「大南寺」が創建された。
「大南寺」は、兵庫県神戸市の「和楽寺」と姉妹関係にあり、
行事などを合同でやることも多い。



 
写真右は四郷小学校、左は大南寺。
大南寺は御着駅下車、姫路市立四郷小学校前にある。






境内は広い。在日ベトナム寺では一番大きな敷地を有している。
ベトナム人のみなさんがお金を出し合って購入されたようだ。


何かやっているようだ。


仕事明けの夜や週末はここに集まって寺院造りをしている。
彼は技術者ビザ(5年間)で入国し姫路市で働いている。
ベトナム南部のメコンデルタ地域の出身である。


ベトナム難民で20数年前に入国した。
日本で妻をめとり4人の子宝に恵まれている。
この寺院のマネージャー的存在。


30数年前に入国した初代のベトナム難民。この寺院造りの監督的存在。
右の灯篭は皆さんの手作り。


現在作っているのは、門の上に設置する小塔のようだ。
最初の写真で一番高い旗のところに置く予定だそうだ。
実はセメントの門も彼らの手作りである。
本殿の仏様以外は手作りのようだ。


全部手作りですね。




大南寺本殿


ご本尊などはベトナムから運んできたようだ。
















休憩小屋も、




舞台も手作り。


この観音様はどうだったか聞き忘れているが、手作りかもしれない。 






後記

ベトナム人の皆さんが資金と労働を出し合って、
手作りで寺院造りをされているだけに、今後どのように発展するのか、
将来ぜひ見極めたいと思っている。  



 


 
 琥珀ブログ  平成23年3月20日  初製作
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