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尾瀬水芭蕉とベトナムフェステイバルの旅
平成31年6月6日〜11日
The trip to Tokyo and Gunma from June 6 to 11



浄土宗日新窟
平成31年6月10日
Nisshinkutsu Jodoshu Sect
June 10, 2019



日新窟の源流は、
浄土宗鎮西派の大本山である増上寺の学寮であった。
江戸時代、増上寺は徳川家の菩提寺として幕府庇護の下浄土宗の布教を行い、
日新窟をはじめ門前の学寮では多くの学僧が修学を行った。
1680年、増上寺住職45世大玄上人が学寮寮主となって以降、
智堂上人、吉水玄信上人(1887年増上寺住職72世就任)と受け継がれ、
先代・吉水大智の頃に時代は幕藩体制から近代へと変わり、
大正時代に寮主は小野玄妙へ引き継がれた。
近代以降は、廃仏毀釈令や関東大震災や太平洋戦争など苦難の道が続き、
特に大戦中の空襲では、
増上寺及び門前寺院・学寮は三解脱門・経蔵を残して
いずれも焼失するなど、大きな被害を受けた。
小野玄妙の跡を継いだ齋藤実明は日新窟の再興を図り、
1952年に日新窟は「宗教法人 日新窟」として認可され、再出発を果たした。
その後、日新窟の復興を期して芝地区の再開発に参加、
2007年に現在の高層ビル内の本堂が完成した。
吉水大智和尚(現日新窟住職)が増上寺で修学中、
ベトナムから留学中の釈心覚師と出会い、
交流を深めたことが日新窟とベトナムの友好のきっかけとなった。
ベトナム戦争当時、吉水大智和尚はベトナムへ赴き自らの目で戦争の悲惨さを目にし、
仏教を通してできることはないか模索を続けた。
1998年、ベトナム慈厳寺の釈心智尼僧と印光寺の大戒壇で出会い、
日本への留学を希望していたことから留学のサポートを行うようになり、
以後、日本へ留学を希望する僧侶の支援を行うことで、
日本とベトナムの縁が更に緊密になっていった。
2011年3月11日に東日本大震災が発生、
日新窟が在日ベトナム人の避難所となって以来、
在日ベトナム人のコミュニティの方々と縁ができ、
やがて在日ベトナム仏教信者会へと発展した。
近年は、日本で若くして命を落としたベトナム人留学生や研修生、技能実習生の
葬儀やご遺族への遺骨の引渡しのサポートを行っている。
吉水大智和尚は、2018年6月1日、
国賓として来日中のベトナム社会主義共和国チャン・ダイ・クアン国家主席から
ベトナム・日本国交樹立45周年を記念してのレセプションの席上、
ベトナムに貢献したとして二階堂博議員連盟会長、岸田文雄前外務大臣、
武部勤前議員連盟会長、杉良太郎特別顧問、林幹雄議連幹事長代理の5名と
一緒に勲章を授与された。


増上寺近くにある浄土宗日新窟


九輪の塔


本堂(釈迦堂)前




本堂(釈迦堂)


阿弥陀堂
吉水慈豊寺務長、松虎、ベトナム人尼僧、ベトナム人修行尼僧




ベトナム語の位牌がある。


これらは、関東地区で命を落としたベトナム人留学生、研修生、技能実習生のものである。






日本で他界されたベトナム人僧侶




お経




阿弥陀様について




日越親善供養塔を建立するお知らせ






《参考1》

朝日新聞デジタル
「日本で死亡した実習生の遺族と話す、
日新窟のベトナム人尼僧 比丘尼 釈心智さん(中央)と
吉水大智住職=ハノイ、鈴木暁子撮影」




《参考2》

日越親善供養塔ができた。





《参考3》

朝日新聞デジタル
日本で亡くなったベトナム人の技能実習生や留学生らを弔っている
浄土宗の寺院「日新窟」(東京都港区)で供養塔が完成し、30日、落慶法要があった。
両国の僧侶約20人が、亡くなったベトナム人にそれぞれの言葉で祈りを捧げた。
同寺は、約150人のベトナム人の位牌を預かってきた。
半数が技能実習生や留学生で2割が中絶の水子という。
病死や自殺、事故で亡くなる若者が増え、位牌を安置する場所に困っていたため、
寄付なども受け供養塔を建立したという。











琥珀ブログ  平成23年3月20日  初製作

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