Produced & Photographed by Matsutora


古文書発見
平成28年7月7日
DISCOVERED ANCIENT DOCUMENTS

JULY 7.2016



フィリピン赴任中に、友人の浅田家で古文書が発見されたらしい。
その家は代々の素封家で名家ではある。
倉庫のようになっていた元女中部屋を片づけていたら、
それまでには気が付かなかった葉書、書簡、書籍などが大量にあったらしい。
行ってみると江戸、明治、大正時代の
世相や人間模様の一端を表す貴重な書類が数多くあった。
保存状態も大変よく虫食いやしみなどがまったくない。
たいへんすばらしいものであった。


 
愛媛県大洲城
 

大洲城からの眺望
 
 
古文書はこの街で発見された。
同じ場所から撮影された絵葉書もあった。
浮亀橋(小舟を橋桁にして、その上に板を並べて橋とする)が見える。
この川は大正2年に鉄橋が架橋されるので、それ以前の明治期の風景と思われる。
また、「大洲」は「OHSU」となっている。
短母音に「H」を加えて長母音にするというのはすでにこの時代にやっていたようだ。
 

大洲の街並み
 

瓦屋根の民家も多く残っている。
 

浅田家に残されていた明治期の甍屋根の家屋の写真
 

浅田家は特に高祖父の千代吉が古文書を収集・保存したようだ。
千代吉は大洲商業銀行の取締役であり、
 

郡会議員であった。
 

今回発見された古文書
 

 

 

 

 

謡曲
 

 

 

 

 

家紋事典とでも言おうか
 

これは文化五年、江戸後期の1808年になる。
 

 

植物図鑑のようでもあり、活花の書籍のようにも見える。
 

 

 

漢和辞典
 

 

 

 
 
政尾藤吉の年賀状
政尾藤吉とは、伊予国喜多郡大洲町(現在の愛媛県大洲市)出身。
1889年に東京専門学校(現在の早稲田大学)英語普通科を卒業し、
1893年、ウェストバージニア大学ロースクールに入学して1895年に卒業した。
1896年、イェール大学を卒業し、法学修士号を得、
翌年には同大学から民事法博士号を得た。 
帰国後、ジャパン・タイムズの記者となったが、 
外務省の委嘱でシャム(現タイ王国)に派遣された。
1902年にシャムの法律顧問となり、シャムの近代法典編纂に貢献した。
この功績で侯爵に叙任され、王族待遇を受けた。
シャムから帰国後は、1915年の第12回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。
1917年の第13回衆議院議員総選挙でも再選された。
1920年12月、駐シャム公使(今でいう全権大使)に任命されたが、
翌年8月、在任中のシャムで死去した。
松虎は、タイの王立学校で教鞭をとったこともあり、
政尾藤吉については取材したこともある。
藤吉の出生の場所もタイの葬儀場所も実際に見ている。
浅田家には政尾藤吉の年賀状、書簡、追悼録が残っており、
それらを目の前にして感慨深いものがあった。 参考:政尾藤吉
 

政尾藤吉追悼録
 

 

政尾藤吉1週年忌日に政尾隆二郎(子息)が発行し、生前親交のあった方々に献本した。
 

貴重な書簡もたくさんある。
 

政尾藤吉の書簡
 

 

 

 

 

河崎蘭香の絵画(印刷) 
蘭香(らんこう)は、1882年11月に愛媛八幡浜市に生まれる。
32年京都に出て、菊池芳文に師事し四条派を学び、36年上京して寺崎広業に師事する。
絵画共進会などで入選を重ね、40年東京勧業博覧会で「冷美」が3等賞碑を受賞、
第1回文部省美術展覧会(後の日展)に「夕雲」が入選する。
以後、文部省美術展覧会に「姉妹」「たわむれ」「歌のぬし」「夏の夕」が入選、
大正3年第8回文部省美術展覧会に「広間へ」が褒状、
4年第9回文部省美術展覧会に「霜月十五日」が3等賞を受賞する。
1918年3月、将来を大いに嘱望されたが、惜しくも37歳で他界した。
下の写真は、第6回文部省美術展覧会で入賞した「夏の夕」。
 

浅田家には河崎蘭香の達筆な書簡が残されていた。
 

 

 
 
臥龍山荘を創建した河内寅次郎の書簡
臥龍山荘は、河内寅次郎が構想10年、施工4年の歳月をかけて建設し、
明治40年(1907年)に完成をみた。
臥龍院(がりゅういん)、不老庵(ふろうあん)、知止庵(ちしあん)の建造物と
借景庭園が広がり、冨士山(とみすやま)・肱川の光景を眺めることができる。
国の重要文化財。参考:松山・内子・大洲
 

 

 

楠本 高子(くすもと たかこ)の書簡
高子は、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの孫娘で、
楠本イネ(日本初の女医)の娘。
結婚後の改姓により三瀬高子(みせ たかこ)、山脇高子(やまわき たかこ)、
山脇たかとも呼ばれる。
高子はイネが強姦されて妊娠した娘であり、当初は「タダ子」とよばれていた。
天がただで授けたものであろう、というあきらめの境地から名付けられたようだ。
1864年、13歳の時まで長崎の祖母・お滝の元で育つ。
幼少時は琴や三味線、舞など芸事に熱心であり、
医者を嗣ぐことを期待していたイネを嘆かせていたという。
1865年、母の師・二宮敬作の縁により宇和島藩の奥女中として奉公を始める。
そして翌1866年(慶応2年)、三瀬諸淵と結婚する。
三瀬はシーボルト門下の医者で、二宮敬作の甥に当たった。
1877年(明治10年)に夫・三瀬諸淵に先立たれた後、
異母兄・石井信義の元で産婦人科を学んだ。
しかし、その中で医師・片桐重明に船中で強姦され、
周三(後にイネの養子)を生む事態となり、医業の道は断念した。
その直後に医師・山脇泰助と再婚、三女を生むが、結婚7年目に先立たれた。
その後は叔父のハインリヒ・フォン・シーボルトの世話を受け、
東京で母のイネと共に暮らした。
以後は幼少時に熱心だった芸事の教授をして生計を立てていた。
その美しい容貌は、松本零士が『銀河鉄道999』のメーテルや
『宇宙戦艦ヤマト』のスターシャのモデルにしたと言われている。
 

参考:メーテルのモデル(楠本 高子)の肖像 (wikipedia)
 
  (後記)
約1か月後の8月15日、
「徹子の部屋」に松本零士氏が出るというので見ていたら、
ご本人自身が漫画のキャラクターにはみんなモデルがいると証言した。
そして、メーテルのモデルだという女性の写真を公開したが、
その写真は上の写真と全く同じものだった。
彼はシーボルトなどの名前は出さなかったが、
彼の高祖母と同じ時代を生きた綺麗な女性だと紹介した。
(平成28年8月15日記)


三瀬諸淵の短冊
諸淵は、遠縁の医師二宮敬作(シーボルトの高弟)の弟子となり、
二宮のとともに長崎に渡り蘭学、医学を修めた。
安政5年(1858年)に大洲に一時帰郷したときに、長崎から持ち帰った発電機と電信機で
古学堂から肱川の河川敷まで電線を引き、「電信」の実験を行った。
約980メートルの間に銅線を架設し、打電したところ成功。
その様子は日本電信電話株式会社広報部 『電話100年小史』(1990年)にも
「日本における電信の黎明」として取り上げられている。
慶応2年(1866年)にシーボルトの孫娘にあたる楠本高子(上述)と結婚していたが、
明治10年(1877年)胃腸カタルにより39歳の若さで死去。
 

浅田家に残されていた三瀬諸淵の写真
 
 
浅田家の斜め向かいにある三瀬諸淵が住んでいた家。
現在は全く関係がない家族が住んでいるが、
かつては、「銀河鉄道999」のメーテルのモデルが住んでいた家ということにもなる。
 

海外の絵葉書も多数あった。
100年も以上前に海外から投函されたものである。
次の建物は台湾に残っている。
現在は総統府といって、台湾政治の中枢になっている。
 

カルフォルニア州の州都サクラメント市(桜面都)からの絵葉書。
松虎はかつてサクラメントに住んでいたことがある。
その時に、100年以上も前にあったという日本人街を取材したことがあるが、
その時には、すでに日本を感じさせるものは全くなかった。
 
 
サクラメント市にある「カルフォルニア州議事堂」
現在も州議事堂として使われている。
この州議事堂の中にカルフォルニア州知事の執務室もある。
かつてカリフォルニア州知事だった
ロナルド・レーガンやシュワルツネッガーもここで執務していた。
参考:サクラメント観光
 

100年前のサンフランシスコ。
ひときわ目立つビルはすでにないと思われる。少なくとも松虎には記憶がない。
 

ロシアからの絵葉書
 

 

 

道後温泉
 

大正天皇(当時は皇太子)ご成婚記念
 

大正天皇(当時は皇太子)ご成婚の花車
 

 

 

 

大正2年、大洲市の中心を流れる肱川に鉄橋(後方)が架橋された。
前方に浮亀橋が見える。
 

肱川
土佐藩を脱藩した坂本竜馬は、四国山脈を越え、この肱川を下って、瀬戸内海に出た。
 

 

 

昔の日本地図
 

古文書を見ていたら、
浅田家の近所に実家がある教え子が訪ねて来てくれた。
現在は東京に住んで、落語家をめざして修行中であるが、
最近子供ができたので、
嫁と子供を連れて実家の両親に見せに帰っているところだった。
たいへん可愛い赤ちゃんを抱かせてもらった。 
ところで、この青年の芸名は「立川志ら門」といいます。
高校時代は、野球部に属し、人柄もよく、リーダーシップも取れる。
その上、学業もおろそかにしなかった。
太鼓判が押せる好生徒だった。
皆さんに応援していただいたらと切に思っている。
どうぞよろしくお願いいたします。
 



参考ウェブイト多数






 
 琥珀ブログ  平成23年3月20日  初製作
free glitter text and family website at FamilyLobby.com
 © 2016-2026 KOHAKU BLOG. ALL RIGHTS RESERVED.