縁起によれば、聖徳大子の建てた「熊凝精舎」(くまごりしょうじゃ)が、
その後、日本最初の官寺である百済大寺となり、国の大寺として尊崇を集めた。
平城京に移って大安寺を称した時の伽藍は東大寺、興福寺と並んで壮大であり、
東西に2基の七重塔が立ち「南大寺」の別名があった。
この時代、東大寺大仏開眼の導師を務めたインド僧・菩提僊那(ぼだいせんな)をはじめ、
ペルシャ人、トルキスタン人、ベトナム人(仏哲)などの歴史上著名な僧が在籍し、
日本仏教史上重要な役割を果たしてきた。
平安時代以後は徐々に衰退し、寛仁元年(1017年)の火災で
主要堂塔を焼失して以後は、かつての隆盛を回復することはなかった。
現存する大安寺の堂宇はいずれも近世末〜近代の再建であり、規模も著しく縮小している。
現代は癌封じなどにご利益がある寺と自らを位置付けている。
参拝者が、竹筒に入れて温めた日本酒を飲んで健康を祈る「笹酒祭り」は、
奈良時代末期の光仁天皇の故事にちなむと伝承されている。