Produced & Photographed by Matsutora


自宅研修
平成25年3月14日 〜 平成25年7月8日


米国から帰国しました。
5月下旬にタイに赴任するまでの間、米国での資料をまとめたり、
タイ赴任の準備などで忙しい滞在になりそうだ。


米国から成田に到着後、2泊3日間東京に滞在した。(3月14日)


もっと写真を見る
東京スカイツリー、東京ゲートブリッジほか
http://kohaku269.sakura.ne.jp//2013stky.html



 
帰国時及びその前後は忙しくて更新することが出来なかった。 
3月4日にサクラメントを離れ、
サンタバーバラ、サンディエゴ、パサデイナ、ロスアンジェルスを旅行し、
3月11日に成田に到着した。
東京では数人の友人達が集まってくれて、
  浅草で飲食したり、東京スカイツリー、東京ゲートブリッジ、東京ドーム、武蔵野を訪問した。
東京ドームでは“ワールドベイスボールクラッシク”の
日本での最終試合(対オランダ)を見ることが出来た。
四国の自宅には3月14日に到着した。
帰宅後は家のインフラの再開、屋敷内外の清掃、花見パーティー、
タイ赴任の準備などで多忙を極めていた。
滞米中の写真の整理も本日やっと完了し、
カルフォルニアから買ってきた燭台にやっと火をともすことができた。 


今年の桜の満開は早かった。
今日は散りかけていたが、
桜の木下で写真整理したり、インターネットに接続している。(我が家はWifi完備)

ありがたいことにサクラメント赴任を再要請されているので、
将来サクラメントに滞在することもあると思う。
特に、今回の滞在でサクラメント市のJ高校と松山市のE高校の
姉妹校縁組の橋渡しをさせていただいたこともあり、
自分が橋渡しした姉妹校が両市に一校づつ残るのは
たいへん嬉しくもあり光栄でもある。
J高校とE高校は姉妹校縁組をする前提ですでに交流が始まっている。
早ければ1年後には姉妹校締結をするかも知れない。
私にとってサクラメントは特別の街になった。
将来また住んでみたいと思っている。
また、今後とも両校の交流に協力したいとも思っている。

約2ヵ月後、タイ王国に赴任します。
1年契約でバンコックの公立高校の教師を仰せつかりました。
サクラメントは民間団体の招聘でしたが、今回はタイ文部省の招聘です。
タイからも多くの写真と共にタイ情報を発信したいと思っている。
  また、カルフォルニア滞在2は基本的な生活はカルフォルニア滞在1と同じである。
両写真集は同じテーマや写真が重複しないように編集しているので、
カルフォルニア滞在1も参照していただければ幸甚だ。(3月29日)




 
テレビで松山市の薄墨桜が5分咲きになったと報じていた。
松山に行く機会があったので寄り道して観桜してきた。
松山銘菓の“薄墨羊羹”はこの桜の名を拝借したものである。(4月3日)


もっと写真を見る
薄墨桜
http://kohaku269.sakura.ne.jp/2013usuzumizakura.html



 
タイ文部省招聘での赴任校がバンコクに決まった。。
バンコク市内にWat Rajorasaramという王立寺院があります。
その寺院の付属でWat Raja.o.ros 王立学校(中高一貫教育校)に決まった。
寺院と付属学校は同じ敷地内にあります。(4月4日)


参考ウェブサイト
Wat Rajorasaram(寺院)
http://www.dhammathai.org/watthai/bangkok/eng/watrajaoros_e.php

Wat Raja.o.ros School(学校)
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=409524779127957&set=a.409524775794624.97366.398759566871145&type=1&theater




サクラメントや米国について研究しておきたいことが山済みされているが、 
タイ訪問が近くなってきたので、
それらは一時遠ざけてタイでの情報収集を始めている。
書籍だけでなく、インターネット、映画、音楽などのあらゆるメディアから情報収集し、
それらの収集した情報をタイでの授業や生活で生かすために再検証し、
いつでも使えるように整理しておく。毎日多忙な研究生活をしている。
タイの学生にたいへん人気がある日本映画(NANA,1リットルの涙)や
タイを舞台にしたハリウッド映画(戦場にかける橋、バンコクデインジャラス、 
007黄金の銃を持つ男、ザビーチ、ハングオーバー2、エマニエル夫人、
ドラゴン危機一髪)のDVDを借りてきた。
NANA(映画版)や1リットルの涙(テレビ版)は
日本の女子高校生にも大受けしそうな作品だった。
ハリウッド映画では、まったくのフィクションではあるが、戦場に架ける橋はよくできている。
エマニエル夫人はあの内容とあの映像で只のエロドラマになってはいないのが見事です。
タイの映画ロケは水上マーケットやペナンでの撮影が多いようだ。 

日本のアニメではドラエモン、一休さん、コナンがタイで人気があるそうだ。

ところでYoutubeで山田長政の映画がアップされている。
2011年にタイで製作されたが、日本公開は予定されていないらしい。
時々日本語が聞こえてくるので大まかな内容はわかるが、
元々アクションが売りの映画なので
格闘技が好きな方ならば映像だけでも楽しむことができると思う。

《アユタヤの侍 山田長政 Yamada the Samurai of Ayutthaya》
http://www.youtube.com/watch?v=VYebEFPzV3c
解説
山田長政は、沼津藩主の「駕篭かき」をして いたが、 
1612年に密航してシャム(現在のタイ王国)に渡ったと云われている。 
日本人町を中心に活躍し、日本人傭兵軍に加わりアユタヤの日本人町の頭領に成った後、  
スペイン艦隊の侵攻を斥ける功績を讃えられソンタム国王から官位・欽賜名を授けられ、 
南部のナコン・シータマラートの知事になったが、後に毒殺される。 
これが山田長政の略歴である。 
映画ではナレースワン国王に認められて、護衛軍の一人になる。 
ナレースワン国王というのはタイ3大王の一人でムエタイの創始者といわれ、 
アユタヤ王朝21代王である。在位は1590年―1605年。 
この国王の肖像はタイの50バーツ紙幣にも描かれている。 
実際に、長政が仕えたのは24代のソンタム国王である。 
ソンタム国王はナレースワン国王から3代後の国王である。 
ウキペディアによると長政は1590年頃に生誕とある。 
それはナレースワン国王の在位が始まった年でもある。 
これらのことだけを見てもこの映画はフィクションであるというのがわかるが、 
この映画は日本タイ修好120周年記念作品で4年も掛けられて丁寧に製作されたらしい。 
確かにどの場面も絵画のように美しく、アユタヤは金色に輝く楽園のように描かれている。 
出演者もすばらしい。長政はタイで活躍する大関正義(おおせき せいぎ:日本人)。 
ムエタイ戦士達は、プアカーオ、ソムジェット、ナックノムなどの 
本物の、超一流の、ムエタイ選手が総出演している。 
ムエタイ及び格闘技ファンには垂涎ものである。 
ナレースアン大王は近代タイ映画界のドル箱スターであるWinai Kraibutr、 
選りすぐりの兵士を育てる村の僧侶は70年代からスターで 
現在は準主役級の名脇役としてタイ映画界を支えるSorapong Chatree、 
長政の相手役の美女はタイの元ミスワールドのkanokkorn Jaicheund! 
その妹役の小さな女の子も彼女に負けず劣らずとても可愛い! 
映画の筋は、バゴー(ミヤンマー)兵を装った輩達が悪行を働いていた。 
日本人町の頭領から山田長政は命を受けて犯人を探すが、 
実は彼らは同じ日本傭兵隊であった。犯人は一番身近な者だったのである。 
事実を知った長政は、同胞から命を狙われ、危うく命を落としそうになるが、 
鍛冶屋として生計を立てる兵士達の村の村民に助けられる。 
僧侶の教えに感銘を受け、穏やかな精神になった長政は、 
アユタヤの人間になりたいと願い、ムエタイを覚えたいと思う様になる。 
そして、ナレースワン大王の護衛軍の兵士になった彼は、 
命をかけた闘いに出て行き見事に武功を立てるが、 
またしても長政は同胞から命を狙われる。 
友人の援助もあって一味を粉砕したところで映画は終わる。(4月15日) 




 
タイ関係の一般書籍ばかりでなく語学や観光なども研究しておく必要がある。
インターネットで片っ端からクリックして購入している。
どんどん届き始めた。(4月20日)





 
世界一小さなワイナリーがあるということを耳にしたので早速行ってきた。
小さくとも本物のワイナリーだった。(6月2日)


もっと写真を見る
世界一小さいワイナリー
http://kohaku269.sakura.ne.jp/2013uchikowinery.html



 
春の剪定をした。(6月5日)


もっと写真を見る
春の剪定
http://kohaku269.sakura.ne.jp/2013sentei.html



 
約100年前に、愛媛県大洲市出身の政尾藤吉(まさおとうきち、1870〜1921)は、
明治期にアメリカへ私費留学し、苦学の末、弁護士資格、民事法博士号を取得した。
帰国後、日本の外務省からシャム国(現、タイ王国)に派遣され、
シャム国の近代法典の整備や司法制度改革に大きく貢献した。
政尾は、シャム国王ラーマ5世・6世から絶大な信頼を得て、
シャム国の貴族(准皇族)に列せられた。(6月8日)

1956年に制作されたアメリカ映画『王様と私』を見てみたくなった。 
あのユルブリンナーが扮する王は誰だったのかに興味があった。
近くのレンタルビデオ店に行ってみると、『王様と私』はなく、
1999年にリメイクされた『アンナと王様』というのがあった。
これは単なるリメイクではなく、
アンナ・レオノーウェンズの手記『英国婦人家庭教師とシャム宮廷』を
原作に映画化された作品である。
この映画には前作と違ってミュージカルの部分は一切ない。
これらの両映画に登場する王はラーマ四世であり、
アンナ・レオノーウェンズはラーマ4世の子供たちに英語を教える。
その中にラーマ5世もいたが、ラーマ四世は多妻で子供達も50人ほどいた。
アンナの著書には創作と誇張が多く、タイには不敬罪が存在するため、
『王様と私』も『アンナと王様』も両方ともタイでは上演・上映が禁じられている。
単純に比較はできないのかもしれないが、
『明治天皇と私』とか“アンナと金正日”とかに当てはめてみれば、
確かに「ありえない」と話の真意を疑いたくはなる。
その上、アンナはイギリス植民地下のインド生まれで生涯の大半をインドや東南アジアで暮らし、
東洋の文化には慣れていたとなれば、なおさら不思議な内容になってしまうが、
小説とはもともと虚構の真実である。その真意はともかくとして、
作品として見ると、
『アンナと王様』の最後は
少年期のラーマ5世の言葉とナレーションで締めくくっている。

私は幼かったが
父が別れを前に愛する女性を抱いている姿は
生涯、記憶に焼きついた
忘れ得ぬ一瞬が人生で意味を持つことがある
目を瞬く間の一瞬・・・
その一瞬が未来に光を投げ
その一瞬を創った人は永遠に記憶される
アンナはシャムに輝く光を与えてくれた

(父王の理想とアンアの教えを受け、新国王は国の独立を守り通し
奴隷制を廃止、宗教の自由を認め、司法制度を改革した)

前置きが長くなったが、
この司法制度改革に為に派遣されたのが大洲市出身の政尾藤吉であった。(6月11日)



もっと説明や写真を見る
政尾藤吉(大洲の偉人)
http://kohaku269.sakura.ne.jp/2013masaotokichi.html



 
タイ赴任が遅れている。5月下旬には訪泰のはずだった。
5月31日にタイ外務省から招聘状(ビザ申請に必須)が電子メールで届いたが、 
ビザ申請では原本を提出することになっているので、 再度郵便で送ってもらったが、
それが6月3日に到着した。
実は、それと同時にタイ外務省はビザ申請をする大阪タイ領事館に
“○○というものが、ビザ申請に行くが、彼はタイ文部省の招聘であるので
ビザを発行してくれ”という要請(ファックスかメール)をする。
その連絡があって初めてビザ申請ができる。招聘状の偽造を防ぐ処置だそうだ。
それで、数日ごとに大阪タイ領事館にその連絡が来ているかどうか電話して訊いていたが、
いつまでたっても届かない。そうこうするうちに、重大な局面が近づいてきた。
というのは、ビザ申請には発行日から3か月以内の無犯罪証明書が必要なのだが、
その期限が近づいてきたのだ。無犯罪証明書の発行日は3月22日だったのだ。
それで東京にある関係法人(タイ文部省招聘の教師の募集や試験の実施をしている)に
連絡し調査をしてもらった結果、
タイ外務省は大阪ではなくて東京のタイ大使館にその要請をしているというのが判明した。
その報告を聞いたのは6月20日の午後5時25分頃だった。
無犯罪証明書の有効期間はあと1日しかない。もう東京に行くしかない。
運よく東京行きの夜行高速バスに空きがあった。
即座に荷物をまとめると午後6時20分発の東京行きのバスに乗り込んだ。
6月21日(金)どうにかビザ申請ができた。
同日午後7時10分、新宿発の夜行バスに乗車し四国に帰ってきた。(6月22日)

ビザ発行は申請日の翌日だが、
週末なので6月23日(月)にビザが発行になった。
東京の関係法人のスタッフが
タイ大使館に取りに行って郵送してもらうことになっている。
ビザ申請は航空券が必要だったが、
急なことで時間がなかったので仮の予約で申請しました。
今日はその航空券を解約し、新たに航空券を予約購入しなければならないのだが、
タイの赴任校がバンコック空港に迎えに来てくれるというので、
都合のよい時間帯を訊くメールをだした。
その結果を訊いてから航空券を購入する予定である。
タイはなんでものんびりしているから、返信がすぐに来るとは思わないが、
もうすでに片足をタイに置いているわけだから、いまさら焦っても仕方がない
“マイペンライ(一番有名なタイ語:気にしないという意味)”で
やっていこうと思っている。(6月24日)



タイの赴任校の責任者と連絡がつき、 航空券を発注(本来はビザ申請時に必要であるが、
急なことだったのでとりあえず航空券を予約して、申請後に破棄していた)し、
7月9日に関西国際空港から出国することになった。
尚、自宅出発は5日で大阪で3泊することにした。(6月29日)



 






琥珀ブログ  平成23年3月20日  初製作

  ©2018-2028 KOHAKU BLOG. ALL RIGHTS RESERVED.